褒められたのに、よろこべない
人から褒められた時に、素直によろこびをかみしめることができません。
頑張っていることや努力したことであればあるほど、
「褒め言葉に騙されてはいけない」
「誰でもできるんだから喜んだりしてはいけない」
「褒められたことを喜んでると思われてはいけない」
「もっとすごい人が星の数ほどいる」
そんな気持ちが、嬉しさと一緒に、そのうち嬉しさを覆い隠すほどに、むくむくと湧いてくるんです。
むしろ、意識的に、そう思う自分をつくろうとしているのかも?
どうしてよろこぶことにストップがかかるんだろう?
人からかけられた言葉を素直に受け止められないのはなんでだろう?
最近になって初めてそのことについて考え始めて
ひとつ、出てきた答えがあります。
「停滞したら嫌われる・見捨てられる」
真面目に、できる限り期待にこたえ、なんでも人並みのことはできるように、自立しているように、生きてきました。
努力抜きでできたこともたくさんあったけど、それなりに頑張って「人並み」以上にいないといけないと思っていました。
努力の「結果」を認められるようなことばかりを一所懸命してきた結果、
「もっと上」をずっと出し続けないと自分の価値が消えるような怖さが
心のすみっこに根をはっていました。
ここで立ち止まったら、私の価値はなくなる。
呆れられて嫌われて見捨てられてしまう。
そこに至る頑張りの「プロセス」を、一番認めて欲しかったのは他ならぬ私なのに
私自身が自分に「結果至上主義」を突きつけていたんです。
褒められて満足してしまうことは、新しい結果を生まずに安住することに感じていました。
嬉しいから、もっと素敵になろう。
っていうモチベーションに変えてもよかったし
当たり前だと思ってたけどこれは誰かの心に触れるんだな。
って発見をただストックしておいてもよかったし、
そうか、私はこれを頑張ってこれたんだな。
って自分で見つめて、認めてあげてもよかったのです。
人の考えや気持ちや感動ポイントは私が作りだしたりコントロールしたりできないのに
私の努力で価値を感じてもらおうとしていたんですね。
立ち止まることを恐怖に思っていたことに気づいたから。
そのことも、認められそうな気がするから。
ここまで旅をしてきた私のこと、
今の私の素敵なところを知ってくれている人の存在、
これからどうなっていきたいのかの私へのお問い合わせ、
そういうものをただ認めて、素直に、よろこんでニコニコしていようと
ちょっとずつ思えてきています(◍′◡‵◍)
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!