Perfectじゃなくていい。だってFullだもん。

緊張しがちな人や生きづらさを抱えている人の多くが
「完璧じゃないといけない」「みんなから良く思われないと価値がない」
みたいな考えを強く持っていると思います。

あるいは、音楽や演劇・スポーツなどのパフォーマーもそうかもしれませんね。
「1番じゃないといけない」「全ての人から評価されないといけない」

ところで、こういったボーダーを自分で設定していること自体が
自分をおとしめ、緊張を増やし、不安が高まって動けなくなるということに、どのくらいの人が気付いているでしょうか?
完璧を目指すことが、多くの人からの評価を得ようとすることが、
つまりは「がんばる」ことが
パフォーマンスを高めるための原動力になると信じられていたのはもう昔のハナシです。

「◯◯じゃなきゃいけない」は「そうでない自分は無価値」という否定の裏返しだし
「完璧」「1番」は存在しそうで実は曖昧な基準です。
「みんな」の定義は「クラスのみんなが持ってるもん!」と同じくらい全員ではないですし
「好印象」や「評価」に絶対基準はありませんよね。

私も小さいころから、1番から離れれば離れるほど自分の価値が減っていくと感じていて
そのつらさから逃れるために、最初から「どうせ私はこの程度」という諦めのレッテルをはっていました。
できないための予防線を、防御壁を、一所懸命つくっていたんですね。

「誰か」「何か」に判断をゆだねると、実は「自分」のやっていることに強く反応します。
自分ではコントロールできず予測もつかない「誰か」による「評価」が不安を大きくして
「自分」が何を「してしまったか」が気になってしょうがなくなっていく。

声がうわずってしまった
顔が赤くなっているかもしれない
手が震えてるのが見られているんじゃないか
音を外してしまった

緊張する場面でこういったひとつひとつが気になってしかたなかった
結果的に自分のパフォーマンスに、自分自身の存在に、自信が持てないまま過ごしてきた
完璧じゃない私を否定し続けてきた

そういう経験は多くの人にあると思うんです。

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緊張を打破したり無視しようとしても現実はそうでなかったりして
無視はできないこの現実を、直視するのもなかなかにしんどいですよね。

とはいえ1つ知っておきたいことがあります。

戦うステージを変えてしまうこと。
むしろ戦わないこと。

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最初に書いたように「完璧」には基準もゴールもありません
それを目標のベースに置いて、完璧になるまで戦う!と挑み続けても、戦う相手が存在しないんです。
誰かの完璧の基準を私は完璧に知ることができないのに、そこにどうやったらたどり着けるんだろう?

むしろ。
スタートを「このままで充分な自分」にしてみたらどう考えられるでしょうか?
息をして、立っていて、チャレンジしようとしている私は既にFullの状態。
そこから、何がやりたいのか、どう伝えたいのか、そういうことに向かっていくひとつひとつが、ボーナスポイントと考えてみるのは
どうでしょうか?
相手の反応を勝手に推測するんじゃなくて、自分がやりたいことに目を向け続けたら、どんなことが起きるでしょうか?

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明石家さんまさんのお嬢さんは「生きてるだけでまるもうけ」の略でIMALUさんと名付けられたと聞いて
最高だな!関西の人はすごいな!と思いました。

既にまるもうけしている、満たされている自分と握手することから、始めてみませんか?(◍′◡‵◍)

#note #自己受容 #自己肯定感 #緊張

読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!