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宇宙視点から見る「運命の桃花」2

まだまだ「運命の桃花」、熱く語らせていただきます。(笑)

霊汐(れいせき)を助けようとする、神尊・九宸(きゅうしん)と、その師匠・天尊との問答シーン。
お互いに「神尊」「天尊」と呼ばれる、神の世界でも最も位の高いうちの二人であるだけに、その了見のぶつかり合いがとても深かった!

今日はこの二人の会話を宇宙視点から見ていきたいと思います。

*****
魔に犯され、天界から排除されようとしている霊汐(れいせき)
そんな彼女を救おうと奮闘する九宸(きゅうしん)
そしてそんな九宸の考えを正そうと師匠・天尊が現れ、対話が始まる・・

天尊:「私とて殺したくは無い。だがこれはあらがえぬ運命なのだ」
九宸:「霊汐とて衆生の一員。罪なき者をなぜ殺すのです」
天尊:「霊汐を生かし、衆生に災いをもたらしてよいと?」
九宸:「霊汐を守りきれぬ私が今後衆生を守れましょうか」
天尊:「確かに霊汐は衆生の一員であるが、衆生そのものではない。あの者が死ぬことで衆生を守れるなら価値ある死だ。もし天地に難ありそなたの命で衆生を救えるなら命を捨てるか?」
九宸:「捨てます」
天尊:「なぜ零汐はだめなのだ」
九宸:「私は…」(と言葉を詰まらせる)
天尊:「決められぬか?いずれ分かる」

一人の命か、多数の命か、という問題です。

「運命だ。死ぬことで衆生を守れるなら価値ある死だ。」と言う師匠天尊に対して、「罪なきものは殺せない」と平行線の九宸。

しかしながら、
「天地のために己の命を捨てることができるか?」の問いには
「できる」と答えられるのに、
「霊汐もそれと同じでは?」と言われると答えられない九宸。。。

そこで天尊は、九宸を井戸のような岩で囲んだ空間で内観をさせるーーー

天尊:「万事万物に定めがあり無理に求めてはならない。心の惑いが解けないのはそなたがすでに深みに陥っているかだ。愛にとらわれ視界が狭まれば広大な天を見ることはできまい。愛こそがそなたの全てでそれ以外はもはや眼中にないと?」
九宸:「私は井戸の中にいても天の広さは分かります。愛は私の目を遮るかもしれませんが、私は心によって天を見るので至る所が天であり、内と外に分けられません。罪なき者をあやめれば天道に傷がつきましょう。恐れながらそれでも天道と呼べるのでしょうか

~突如風景が変わり、九宸は滝の前に~(天尊が彼に見せている心象風景)

天尊:「我々は天宮の法を守らねばならん。法の秩序もまた道なのだ。万物は陰と陽を備える。陰陽は相反し一方しか選べない。どちらが重要かしかと考えよ。流れ落ちる水(滝)を守るために天地を犠牲にするなど愚かなことでは?」

~滝の風景が一変、突然の砂嵐~

天尊:「そなたが決断を誤れば天地は滅びる。天地が滅びれば水も消えてしまう。違うか?」
九宸:「私は天地を滅ぼす気などなく水も見捨てません」
天尊:「板挟みに陥ったな。何か悟ったか」
九宸:「いいえ。しかし手だてはあるはず。陰と陽は相反すれどいずれ合わさり調和します。私が選ぶのはその調和です

~首をふる天尊~

「個人的な愛が視野を狭める。」「陰陽は相反するものでどちらかしか選べない。」「天地が滅びれば滝も消滅する」と、滝と天地の映像を見せ諭す天尊。

それに対して、
「心の目で見ると愛(霊汐)も天(衆生)も内と外に分けられない。」
「陰陽はいずれ合わさる。私はその調和を選ぶ」
と言う九宸。

この問答、奥が深いと思いませんか?
いわゆるスピリチュアルで言われる“分離”と“統合”の話、そのものでは?!

天尊:「九宸、(魔に犯された)10万もの天兵をそなたは心を鬼にして殺した。皆、六界(すべての世界)の衆生では?」

そうなんです。
実は九宸は5万年前の戦で、魔に犯された天兵を魔族もろとも殺した経緯がありました。
過去、衆生のために自分の兵さえも殺した九宸であるのに、なぜ今、霊汐一人を殺せないのか?
天尊は問いたくて、その時の九宸が天兵を殺す戦のシーンを見せる。

九宸:「人間曰く、“木瓜(ぼけ)を頂けば宝玉を贈る。永久のよしみを結ばんと”。それならば人間から崇拝される神の私はどうすべきでしょうか。私は霊汐に恩があります。5万年前、霊汐のおかげで魔道に落ちずに済みました」

“木瓜(ぼけ)を頂けば宝玉を贈る。永久のよしみを結ばんと”
調べてみました。
中国では昔、『女性が木瓜などの木の実を投げて求愛して、男性は応じるときに宝玉を贈っていた』らしく、その故事のようです。

つまり九宸は、霊汐に対して、恩は何倍にもして返さなければいけないと言いたいのでしょう。

天尊:「そなたの修為(修練を積み得た仙力)なら霊汐がいなくとも魔道には落ちておらん。霊汐の悲劇は天意だ。天意には逆らえない。衆生と己を傷つけるな」

九宸:「これが天意なら私は従えません。己の良知に照らして新たな道を開きます。師匠の境地は極めて高いものの、それはあくまで師匠の道です。ご教示は受けてもいかに歩むかは己で決めねばなりません

結局、平行線に終わった師匠との問答・・・
しかしながら、私は最後の九宸のセリフにいたく感動、共感しました。

いかに師匠であれ、いかに敬う人であれ、天意であれ、「自分軸」を貫く姿。

私たちはつい、権威ある人、偉い人、尊敬する人の言うことは絶対であると盲信してしまいます。
自分の意見をまげたり、感化、影響されたり。
そして盲信がすぎると、オウム事件のようなことさえも起こります。

「師匠の境地は極めて高いものの、それはあくまで師匠の道」
「教示は受けてもいかに歩むかは己で決める」

ときっぱりと言い切り、「己の良知に照らして新たな道を開きます。」と師匠を振り切る姿!!
この言葉、姿に、私は深い学びを見せられた思いがしました。

そしてこの20話、21話で繰り広げられるシーンで、

“分離と統合”→それらは本当に相反するものなのか?
“自分軸で生きる”→己を信じる姿

を見せられ、考えさせられました。

以上、宇宙視点からみる「運命の桃花」、いかがだったでしょうか?

ちなみにその後のストーリーは、相反することでもきっと調和の道があると信じて、自分の命をかけて霊汐も衆生も救う道を歩むんですけどね!

(タイトルの写真はcinemartサイトより)

今日も記事をお読みいただきありがとうございました♪

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