僕らはなぜ英語ができないのか? 日本語のもつ構造的特性

こんにちは、不謹慎マンです。
北海道はだいぶ涼しくなってきました。サンマが豊漁ですね。毎日なめろうをアテに日本酒を飲んでいます。

さてさて、今日のテーマは日本語論です。以下のツイートが発端。

不謹慎マン @sarasaretaro
「私モテないんですよ〜」「俺ってインキャじゃん?」みたいなね、みんな好きに生きたらいいけどね、僕はコミュニーケーションは最適化したいので、ドメスティックな文脈は無視しますよ
https://twitter.com/sarasaretaro/status/1019089233368080385
不謹慎マン @sarasaretaro
日本語ってのは、一人称が場面を切り取る特殊な言語であり、極めてハイコンテクストな前提を少しでも無視すると「失礼なキチガイ」になってしまうのだ、これを限界まで推し進めたのが京都の茶屋文化なのだな、
https://twitter.com/sarasaretaro/status/1019089965412577282

「全然意味わからん」「詳しく解説してよ」というお声が何件か寄せられたので、久しぶりに筆を取った次第です。

実はこの「一人称」という問題は日本語・ひいては日本人コミュニティを理解する上で極めて大きな意味をもっており、英語との対比の中で、解説していきたいと思います。

1、英語の特異性

英語、だいたいの方が中学高校で勉強されたと思うのですが、皆さん英語は得意でしたか?

「覚えることが多すぎて嫌いだった」みたいな人、多いと思います。指示代名詞とか、仮定法過去完了とか、面倒くせーよ、やってらんねーよ、僕も結構そのクチです。日本語と英語の違いについて考えると、僕らが英語ができない理由がはっきりします。

英語という言語は、日本語と違って、その用い方全般に関して厳しいひとつの枠がきっちりと存在している、極めて厳格な言語です。

僕らが小学校で支離滅裂・意味不明な読書感想文を提出して花マルをもらっている一方、アメリカでは、プライマリースクールから厳しく文法を添削します。

正用法の文法が厳しく、使い方がはっきりと決まっているということは、つまり、英語は客観的には教えやすく、客観的に学びやすい言語であることを意味するのです。

このある種の平易さは、アメリカが(建前上)誰にでも開かれている自由主義社会であることに起因しています。

多様な人種、宗教、理念、それに伴う無数の利害関係者、複雑怪奇な経済市場…

目の前の相手が、どんな理念と背景を持って、自分と対峙しているのかわからない。社会的立場から個人を解放して、相対する絶対的な他者との対話を可能にする巨大な論理システムこそが、英語という言語の特異性であり、それがそのままIとYOUの意味です。

Iとは、完全なひとりの個人であり、これ以上にはどうすることも不可能な、絶対の自分ひとりという最小単位、それが個人であり、Iです。まわりに誰がいても、あるいはいなくても、IはIであることをやめません。
そのIが、誰かに対して言葉を用いるとき、その呼びかけに応じる存在、それがYOUなのです。

すべての個人に向けて開かれた公共性は、”誰にでも”参戦可能な戦いの場所であることによって、初めて確保されるのです。
卵が先か、鶏が先か、わかりませんが、アメリカ社会と英語にはこのような連関が存在します。

2、Iと「私」は逆の意味

Iとは、社会という戦いの場所で客観性を担保するための中心点でありました。動詞が切り開く、論理の躍動とその責任を一身に引き受ける、世界にただ一人の存在、それがIです。

さて、日本語について考えてみましょう。「Iの訳語は”私”じゃないの?」という、ある種もっともな疑問に答えることに繋がります。

映画『君の名は。』の翻訳に苦労した、という逸話があるように、我々が用いる日本語の一人称の多さとそのニュアンスの多義性は、世界トップクラスです。

「私」と「あなた」、「俺」と「お前」、「僕」と「君」…、一説によると一人称だけで100種類以上存在します。

日本語の世界では、自分と他者の関係性を具体的に表現するための、それこそ無数の表現が存在しています。それはすなわち、場によって、場ごとに、自分と相手の呼び方が、場の要請によって変化する、ということです。
例えば、「俺」と「お前」と言っただけで、場の具体性が少し透けてみえてきますね。

「おいら」と「おまえさん」なんか、わかりやすいんじゃないでしょうか。今時こんなの耳にすることないじゃないですか。

渥美清は、寅さんを演じるとき自分を「おいら」と呼びました。「拙者」でも「それがし」でも「アタクシ」でもダメです。
「おいら」の語気・ニュアンス・イメージには社会的なコンセンサスが存在し、もっとも寅さんの下町っこキャラクターに合致するのが「おいら」だから、彼は「おいら」を選択したにすぎません。

この工程は、現実に生きる僕らとなにも変わらないと思いませんか?
僕たちは、その時々で、社会的な要請に応えて、最も自然な一人称を選択します。それは、それぞれが持つ”一人称像”をエミュレートすることに他なりません。

では、「私」が持つ社会的な意味合いとはなんでしょう。

人がいわゆる社会人としてまといつけざるを得ない日常の現実味のようなものを、できるだけそげ落とした状態で自分を人に提示したいとき、人は自分のことを「私」と呼ぶ。自分がどんな人だができるだけわからなくするときの言葉が、「私」という呼び方だ。 …自分がどこのどういう人だかはっきりさせなくてもいいとき、あるいははっきりさせたくないとき、人は自分を極めて便利に「私」と呼ぶ。 (『日本語の外へ』片岡義男著 より)

この通り、Iは「私」と代替可能な言葉ではありません。

それどころか、「私」のあり方は恐ろしく偏っているし、ごく小さな機能しかもっていないことが、わかっていただけたと思います。

3、「場」に固定される人格

「私」とは、自分を表す代名詞では決してないことについて、お話しました。

脳科学の発展によって、母国語が、話者の脳構造に影響を与えることがわかっています。言語の構造と性能が生み出した思考回路の枠のなかで、我々は、世界を把握し、事象を理解するのです。

では、相手との関係性の中でしか、自分を獲得できない日本語を使う我々の世界とは、一体どうなっているのでしょうか?

結論から述べると、日本語の世界に、「かけがえのないただひとりの自分」は原理的に許されません。 


相手という存在が作ってくれる、ひとつひとつの関係の中での、自分と相手との間にある上下関係を細かく計量し、そのような関係のなかでのみ話が交わることも確認した上で、その範囲でのみ相手と話を応じる「自分」、その集合体が、これを書いている「僕」であり、いまこの文章を読んでいる「あなた」です。

相手との関係の場にはいるたびに、その関係の内容をただちに判断し、その判断に基づいて常々自分を変えていかなくてはならない。
人との関係があって初めて決まってくる自分というものは、人が自分をどう思っているか、人が自分をどう評価してくれるか、について、恐ろしく敏感にならざるを得ません。

「日本人はどっちつかずで気持ち悪い」というステレオタイプなイメージがありますが、それは間違いです。
日本語の高度な利害調整機能によって、「どちらにも嫌われないように振る舞う」という極めて繊細で厳密な立場に、我々は無意識に常に身を置いています。

明快な論理、客観的な対立意見、それらはコミュニティを脅かすガンです。関係を安定させるために、明確な論説は避けられます。安定した関係性のためには、それが最も効率が良いのです。

相手を否定しない、脅かさない、不安に陥れない、動揺させない、不快な思いにさせない、腹を立てさせない、強い発言をしない、はっきり断定しない、冷たくしない、

無限の禁止事項から、「〜しない」という強い語気を取って、ひっくり返してみると、日本の美徳がよくわかります。

当たりを柔らかに。気持ちを汲んで。相手の身になって。よく察してあげて。気配りおこたりなく。曖昧に。こまやかに。おもんばかって。期待に応えて。懐を深くして。悠々せまらず。思いやりを大切に。

この世の全てが自分には理解可能で、全ての人間が自分と同じ価値観であるとする日本の共同体意識、

これを限界まで推し進めた結果が、「お茶漬けを出されたら帰らなくてはいけない」京都の茶屋文化なのです。

4、僕らが英語ができない理由

長々と書きましたが、要するに、英語と日本語では根本的な論理構造が全く違うわけです。
教える側がそのことを理解していないから、日本語の単語をそのまま英語に置き換えただけの、論理的に意味不明な”英語モドキ”構文を量産し、それを生徒に写させてるだけで授業が終わってしまうんですね。

高校生の自由英作文を添削すると、8割くらいの子が ’I think that ~’という構文から文章を始めているのがわかります。

「完全な他者に対して、客観性のある論理を展開する、その責任を引き受ける覚悟があれば、I “think” とは書けないよなあ」

自分の考えがどれだけ無意識のうちに縛られているのか認識するのは、大きな苦痛を伴う、とても大変で地道な作業です。
偉大な哲学者は、自分を縛る鎖を発見して、歴史に名を残しました。皆さんも、寝る前ちょっとだけ、そういうことを考えてみるのはどうでしょうか

・参考文献
『日本語の外へ』片岡義男著(https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E5%A4%96%E3%81%B8-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%89%87%E5%B2%A1-%E7%BE%A9%E7%94%B7/dp/4041371945)

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不謹慎マン

青年実業家twitter @sarasaretaro

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