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ぼくの食のエッセイ・トリアツカイ所

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テーマが、『食べ物』系エッセイを取り扱っています。
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記事一覧

「美味しいっ」とオトナ

「美味しいっ」とオトナ

マスクをすることよりも、していないことに違和感を覚えるようになって久しいとさえ思うようになった。月日が経つのはあっという間なのだ。

それはさておき、文章を書く時、ここぞとばかりに「ナニナニとなって久しいが、」と言いたくなるのはなぜなのか。
僕だけか。

まだ僕が「エッセイスト」という仕事を知らない頃だから、高校1年の時だ。

その頃から何かにつけて「気取った文章」を書くのが好きだったのだろう、自

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喉が痛くてビール考

喉が痛くてビール考

ウィルスがカラダに入り込んでくる時、潜伏していたウィルスがコンニチハと顔を出す時、私たちヒトは「何か、来た。」そう認識するとまではいかないものの、覚悟めいたものを内に宿しはしないだろうか。

アヤシゲな雲を見て、明日地震があるかもしれない、なんて思うのと似ている気がしないでもない。
あの日あの時、クーラーの近代科学臭い感じ悪い風を浴びながら、
考え事などしているまさにその時、
「キタッ」という感覚

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お酒の正しい、楽しい飲み方

お酒の正しい、楽しい飲み方

「ハタチともなればオサケヲノム。」というのが、人生の本懐である。

まず飲み方を知らない大学生が、お酒を覚えたての頃にやる過ちというのがある。

これは簡単な話しで、「安く飲みたい」という一心で、120分1980円的な飲み放題プランで、
自分を潰すパターンである。

まずビールか、レモンサワーなどを飲み、
唐揚げと焼き鳥を食べながら、
いかにもお酒を覚えたてといった具合で、ハイボールを飲み、飽きる

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食の真髄は、実践実食に宿る。

食の真髄は、実践実食に宿る。

何にだって言えることは、実践が全てを凌駕するということであるのだが、殊、「食」においてもそれは言える。
ぜひ一度、私と五つ、歳の離れた妹が創る納豆を、食って頂きたい。

その不味さに、父も私も「降参だ、降参!」と、参ってしまうほどなのだ。

通常、納豆というのはやはり、なんと言っても粘りにこそ旨みがあるはずで、少量の醤油と、大豆の旨みが相まってワシワシ白米をいただくものである。そういう風に、決まっ

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食べ放題、全然食べれない問題

食べ放題、全然食べれない問題

ここ最近の、「さて、多様性とは何か。」という問いかけに対する私の一考は、強弱ではないか、というモノだ。

たとえば、寿司である。

バイキングでたらふく食う寿司もあれど、
8貫と細巻き3切れ、お味噌汁付きで1000円の寿司もあるし、「時価」もある。

ネタの度合い、職人の有無、寿司は強弱が選択肢を、増やし、食の多様化につながっている。

たとえば意思決定もまた然り。

どのくらい何に肩入れするか、

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モノ言うコドモ。

モノ言うコドモ。

食わず嫌いというコトがあるのだけど、私はそれがちっとも無くて、「食って、ダメ。」というのが、良くも悪くもちっさい時からの習慣であった。

今でこそ嫌いなるモノも無いが、思えば、ホワイトアスパラがキライな5歳児で、皆が「にんじんは、ちょっとぉ。」「あ~、うち、ピーマンはお断りしているんですよねー」なんて時に、「断固ホワイトアスパラ反対」と、嫌な感じにひねていた。

生意気盛りは、私だけでなく、十何年

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鶏ハムらしさが、見えてこない

鶏ハムらしさが、見えてこない

カノジョが作る鶏ハムは、なかなか良いおつまみになる。

そんなこと言うと、「お酒飲むために作っんじゃないからぁ!」とどすどす怒られそうではあるが、美味いのだ。

作り方は簡単で、
鶏のモモ肉だか、ムネ肉を買って来て、包丁を入れ、塩などで下味をつける。

脂が無い方がしっとり、且つ、さっぱり食えるだろうから、ムネ肉が私はイイと思う。

塩麹や醤油麹などの発酵調味料で味付けすると肉の繊維もほぐれなお美

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日出る国のもやし、あれこれ。

1人暮らし中のカノジョに連れられてスーパーで買い物などすると、大人の私は、最大限もやしを買う。

1つ年上で、社会人のカノジョと言えど、まだまだアマちゃんで、もやしの偉大さを知らんのだろうな、「まだ一袋あるからいいよ」と買い物に来たのにもやしを時として拒むのだ。

それこそオトナ失格である。

考えれば分かるのだけど、「もやしを買いに街まで」行くことがどれだけ愚かなことであるか、なんたるガソリンの

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トリュフとあれこれ考

トリュフとあれこれ考

三大珍味の名を冠する「トリュフチョコレート」。フランス発祥のトリュフチョコレートなのだけど、フランスと言えばフォアグラで、ワインだ。

いやはや、食のルーブル美術館とはよく言ったもので、お高い食べもんがたくさんある。

のだけど、フランスの食に対する基準は、何だか細っちいものが多くて、フォアグラも、ワインも、腹が立つほどルールが多く、ワインなんて楽しく飲むことすらままならないのがフランスと言うもの

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カロリー計算に正義はあるのか

カロリー計算に正義はあるのか

大人になるにつれて、商品の裏面に記載されたカロリーなんかを気にするようになった。手に取った商品をひっくり返して成分表示を見て、棚に戻す。まぁ小賢しいことこの上ない。

私の中には基準があって、特にパンなんかを選ぶとき、1個あたり500キロカロリーを超えてくるものを見かけると「おいおい、牛乳パンレベルではないか」と、出来ることなら商品を棚に戻す。

牛乳パンは、ふかふかのパンに白いミルクソースがうす

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要するに、柔らかさである。

要するに、柔らかさである。

何にだって柔らかさは大事なんだよなぁ。

だってほら、固いカノジョよりは、柔らかいカノジョの方が良さそうであるし、肉も柔らかい方が美味そうで、せんべい布団よりふっかふかの座布団に身を委ねたいのだ。

パン屋的視点で言うと、パンはファッションであるのだ。

それゆえ、どうしてもトレンドと言うものがあって、「ハード系」つまり、天然酵母を使っていたり、かたやフランスパンのようなものが、シルエットの大きい

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出会いと行商。

出会いと行商。

一週間が経ち、ほとぼりも冷めたから先週の行商体験をここに記そうと思う。

我が家からほんの歩いて20秒のところに芝生広場があって、そこで甲州ワインのイベントがあった。

主催の人たちとは最近仲良くさせてもらっていて、「よかったら、パン出さない?」なんて言われて、「あ、いいんですか?」なんて二つ返事で引き受けたことが発端であった。

四苦八苦の準備を経て、当日、親の反対を押し切り、テントを張り簡易店

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赤飯を食うにあたって。

赤飯を食うにあたって。

気がつけば4月の下旬の頭で、野球で言うなれば七回表のツーアウトである。

もとより親族の多い一家に生まれた私は、いとこも多く、それこそ野球チームになるかならないか位は歳の近いのがいる。

まだ桜が見ごろだった2回裏ワンナウトランナー二塁のころ、つまり4月の上旬は、一日に3つ赤飯が届く様な日があった。

その日の夜は、なにを親族揃って赤飯の交換会をしているのか、と違いも分からない赤飯を食べ比べた。

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食を楽しくするへ理屈

食を楽しくするへ理屈

「実のところ、」なんて聞くと「あーやはり、食うべきは実なのだな。」と気づく。

「みのところ、」じゃなくて「じつのところ、」なのだけど、実を食ってきた私達の祖先の存在を感じ取ることが出来る。

今私達が、猛烈に多様化した食を楽しんでいるのは、「実のところ、この植物の根っこ、うまいんすよ。」なんて言う先人らの飽くなき食の探求、その賜物である。

そう思うと、野菜に限らず、海産物を採って食べるというの

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