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前髪9.8

私のオデコは広い。
タテヨコ何㎝×何㎝だろうか。

測ったことはない。
試しに測ってみようか。


前髪でオデコを隠さなくてもいい人は
いいなぁ
と思う。
そうは言っても、やはり一応は
両親、「オデコの遺伝子ありがとう」

しかし、
人前でオデコを出す勇気は持ち合わせていないから、感謝しながらも、
父親譲りの広大なオデコは
星野源風に前髪で隠すのである。

右まゆを出したい私は前髪を気にするタイプではあるが、
女の子の「前髪気にする度」に比べたら、
微々たる「前髪気にする度」である。

いのちの次に前髪が大事!

くらいの勢いがないだろうか、女の子。
言いすぎだろうか、
少なくとも、
今日のランチどうするか
くらいには前髪を気をかけている気がする。

「カワイイ」のためなら前髪すら辞さない感じがある。
ん?前髪すら辞さない?
意味がわからないな。

風が強い日、
「あ〜前髪が〜」はよく聞く
が、
「あ〜襟足〜」は聞いたことがない。

雨が降る日、
「あ〜前髪ぺったんこになるぅ〜」はよく聞く
が、
「ついでに胸もぺったんこ〜」とは
聞かない、
全く聞かない。

バカにしているのではないと、
ツヨク主張したい。

女の子にとって、
前髪は本当に大事であることを重々承知しているよ、
と言いたいのだ。

だから、
そういう「前髪を気にする」仕草を見て、
「へへっ」っと思うのだ。

「前髪気にする暇があるなら、他にやることあるだろ。」
なんて言っちゃうオトコは多分、ダメだろう。

私にとって「どうでもいいこと」が、
他の人の「こだわり」かもしれない。
そこに、ツッコミを入れてもいいのは、
ダウンタウンの浜ちゃんくらいだ。

女の子が前髪を日頃から気にするから、
ストリートで横に連れて歩いても恥ずかしくないし、堂々としていられる。
むしろちょっと自慢したくなる。

前髪を気にする彼女(ら)がいてこその
私(たち)がいる。

ありがとう。

がんばれ前髪。

前髪に関して、
ヒャダインに作詞させたい気分だ。

頑張って整えられた前髪からのぞく
チラ見えオデコの愛嬌と本質的カワイイを知っているだろうか。

前髪9.8に対して、オデコ0.2の黄金比率。

「オデコカワイイ」があるから、
デコ出しがある。

デコ出しの「オデコカワイイ」は、
本来あるべき前髪がないという、かわいさ。

要は、オデコは前髪ありきで、
前髪があってこその、「オデコカワイイ」

(「オデコカワイイ」が世間的であるかどうか疑問であるが。)

前髪とオデコの黄金比率からなる、
圧倒的おくゆかしさ。

私はそれをただ眺めたい。
オデコを少し感じたい。

だから、
「前髪を気にすること」を応援したい。

かき分けて、カールさせて、ふんわりさせて、
また、分ける。

心の中では、メガホンを振り回して応援している。

常日頃から、メガホン応援しているわけではないが、女の子も私も、前髪を大切にしてこそだと感じている。

『オデコが広い人は、心も広い』と言う。

前髪でオデコを隠したい女の子の気持ちが分かり、
前髪を命の次に大事にすることを許容でき、
そういうオデコを遠くで見守るような、親心を持ち合わせているのが「オデコが広い」人である
と、思っている。

私はオデコが広い。

オデコは隠しても、
「オデコが広い」ということは隠さない。

オデコは隠すが、嫌ではない。

前髪からチラ見えするオデコのおくゆかしさ。

そして、なんとなく、
隠してくれている前髪の包容感。


女の子が気にする前髪のどうでもよさも、
「カワイイ」の一部なのだ。

私は、
「他人のこだわり」を大事に生きていたい。

他人がオデコであるなら、
私は前髪がいい。

私は前髪だ。





やはり、意味がわからない。
「私は前髪だ。」はさすがに。ね。


#エッセイ #前髪 #オデコ #カワイイ


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