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「いいね!」の、よさ。

「かわいい!」って、
何でもかんでも言う子がいるが、それは、
結構、いいことなんじゃないか、と、私は思う。

ネコ見てかわいいぃ!
おじさん見てかわいいぃ!
溝みてかわいいぃ!
穴みてかわいいぃ!

「いいじゃんか」と思う。

言い方が気に入らない、とかっていう問題は、まぁ、あるにせよ、
「かわいい」と言えることは良いことなのだ。

というのも、「かわいい」は、
気軽に、フラットな関係で、さらっと言える
唯一の褒め言葉だと、思わざるを得ないからだ。

「すごい!」なんていうと、持ち上げすぎだし
「やるやん!」なんて、言わんだろう。

どこかの誰かが、やたら言い始めた
「かわいい」は、文化にすらなった。

さて、フェイスブックが誕生して、
13,4年、Twitterが誕生して、11年ほど経ち
それこそ、世界には無数の「いいね!」が、
ゴロゴロしている。

私は、この「いいね!」も、
なんだか言語的な文化になったと思う。

気軽に、さらっと言えるフラットな褒め言葉としての、「いいね!」。

これからの評価社会を担う、
二次的かつ、三次元的で、優秀な褒め言葉として、さらなる拡大を見せるに違いない。

ものすごーく褒めるほどでもないけど、
なんとなくスキで、イイと思うことに、
「いいね!」って言えるのは、
言語的に、とても豊かだと思う。

多分、「みんな、いいね!しか言わない」
なんて、言い出すんだろうし、
もう、もはや、言ってる人もいるかも知んない。
けれども、気軽さを伴う言語の、それこそ「やばい」みたなものは、存外、言語進化だと思う。

ある程度、コトバとしての範囲が広くて、
気軽で、カンタンな「評価コトバ」が、
広まれば広まるほど、
みんなが、事の入り口に立てるのだ。
大人から子供まで、
「みんなが、評価の入り口に立つ」のだ。

例えばの話、
『シン・ゴジラ』を観てなくても
「やばい」って言えたり、
「かわいい!」「いや、どこがやねん」的な、
コミュニケーションの入り口。

『シンゴジ』を観た人が、
「『シンゴジ』いいね!」ってツイートしたら、「シンゴジ議論」が展開されるかもしれない。

「明日、彼女に会うための資金が欲しい!」
と、polcaで、支援を求めたら、
「いいね!」のフィーリングだけで、
数百円あげられる。

私的に、
「いいね!」は、いいんじゃねぇかと、思うのだ。

さて、これから、
どれだけの、どのくらいの、「いいね!」に出会えるか。

探していかないといけないし、
産み出す必要もある。

「いいね!」って言うのは、
カンタンなんだけど、ね。

「あ、そうそう、今日、CDたて作ったよ、私!
jazzアルバムのジャケットが、かっこいいから、立てかけたくて、見せびらかしたくて…。」

「いいね!」

#エッセイ

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