チェスターコートとは何なのか。
一万円くらいのチェスターコートを着ていたからいけなかったのだろうかとふと思う。
今日もいつもの様に、耳の悪い神主のもとへ940円分のパンを配達する。
神社までの500メートルほどの距離を歩いていると、ワイドパンツの裾から清々しい風が入り込んでくる。もう随分と暖かくなったものである。うっすら、向こうに見える山にさえ活力を感じる。
思えば、この冬の寒さは、如何ともしがたく、外に出るくらいなら、湯豆腐と日本酒でしっぽりやりたいと念じる時間が多かった。
そんな中でも、申し分ない暖かさを提供してくれたフリースは、起毛が寝るほど着た。
春の訪れと共に、大変お世話になったもこもこのフリースをタンスに仕舞い込むと、なんだかもう、離任式みたいな気になるのだ。
それとはうってかわって、チェスターコートときたら、まったくもって、何なのか。
どうして彼は、こう、パーパーするのか。暖める気があるのか。外気に身を晒したくないから着込む冬であるのに、なんだこの開襟は。
たしかに、チェスターコートを着こなすしゅっとした人に憧れ、自ら望んで無いバイト代を振り絞るように買ってみた。が、着て、外に出てみれば、「何だこの寒さは。」
もこもこのフリースは何回着たかわからないのに対し、チェスターコートは、片手に収まるほどしか着ていない。
「フリースの方が安かったのに。」
「ZOZOで急いで買ったのに。」
未だに部屋に吊るしてあるチェスターコートのだらしなく伸びた丈の長さを見ると、こみ上げてくるものすらある。
不思議にみちみち溢れているこの世界、まだ見ぬ発見もあって、多分気がつけば、宇宙で散歩しているかも分からない。
そういう止め処ない世界で、チェスターコートの出番なんて、あと3年くらいのもで、未来の私たちが、史料の中に見るチェスターコートを「そういえば、チェスターコートとはなんだったのか。」と、まるで今、ポケベルをせせら笑うように嘲笑する日も、そう遠くない気がしてならない。
チェスターコートの扱いにくさを例えるならば機嫌の悪い時のお母さんと同じで、やはり、
如何ともしがたい。
同様に、チェスターコートの着こなしも分からなければ、お母さんのいなし方も分からない私は存外まだまだ子供なのかもしれない。
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