部活してた頃の自分に言ってやりたい唯1つのこと。

「大人になるとか、社会に出るとか、そういう時に求められるのは「練習」ではない。積み上げた「発表」が信用に足るのだ。」と。

「修行させてくれ、」という願いを込めたパン屋さんへ丁寧なメッセージは、「経験者がいいんですよ。」とやんわり断られる。

人的投資を施してくれる人たちは、とかく少数だし、「ある程度からスタート」するというのもまた人的投資の特徴だ。

残念ながら、実績は大事らしい。

「気持ちも熱意も時間もあるんですけど、実績とお金がありません。」では、うまいこといかんのだ。

価値の可視化が容易になった今、大人の世界に足を踏み入れんとする私たちに必要なことは、「実践」、アウトプット以外の何モノでもないと思う。

若さに付随する「悶々」を大事にしながら、アウトプットを通じた毎日の「発表会」が、なんだかんだ、一番身になるんじゃないかと思う。

今、就活している友達らは、数年後、「就活シーズンは云々」と思い出話に花が咲くほど「自分試し」しているんだろう。

「就活生」の苦しみが分からない私は、いつか、「あの頃の心の機微」を友達と共有できないがために、歯軋りはしないまでも、夜寝れなくなるような日が来るかもしれない。

マジョリティーな経験を素っ飛ばして大人になることに、ほんのバニラエッセンスくらいの不安感は募る。「早いとこ実績、欲しいな。」と思う気持ちは何倍にも膨らむ。もう、ちょっとしたパン生地くらいには膨らむ。

「就活している安心感」の代打になるような活動が必要なんだろう。

新生活が始まる春。

私は、相変わらずだ。

なんとなく、今この生活と思考の先に、確固たる未来が待ち受けていると、根拠もない自信だけはある。そういう自信を、世間では「過信」と言うらしいが、そんなの気にしてたら、また、夜寝れなくなっちゃう。

「夜に心地よく寝るための人生」というのが、我が家に暗黙のもと根付いている人生論であり、私の根幹だ。

「ちゃんと寝たいから、「練習」を繰り返していちゃダメなんだ。」

「これだけ練習したんだから、大丈夫、自信を持って。」なんて、マヌケなことを言ってる暇はない。

「若さ」は一瞬だと、身の回りの大人の人たちが言ってくれるから、多分ホントなのだろう。もし仮に、「若さ」が一瞬であるなら、日々の積み重ねは、「発表会」の積み重ねであるべきなのかもしれない。

出るものが同じでも、「練習」が表出するか、「発表」としてアウトプットするかの差は、対外的な違いがある。

実績もお金もない私ではあるけれど、そう、思う。

少なくとも「自分試し」の積み重ねは、日々の生活においても正義だ。

「こういう随筆は、自分の精神性が瓦解するから、たまにでいいな。」「山梨LOVE。のんびりLOVE。」そういう子でいたいなって、友達たちの「就活してます感溢れる投稿。」に強く思う。

焦りと発酵の間を毎日、行き来している私だ。







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久保田真司

日々のほんの片隅

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