「なにして良いか分からない」は、手段の話じゃないよね。

大昔に哲学者が沢山いたのは、みんな暇だったからに違いないなぁと、僕は思うのだ。

哲学がうまれる地には決まって、良い散歩道があるという。
暇だから歩いて考えごとしてたら哲学がうまれた。そうに違いない。

現に、週5でパンの修行に通っていた2018年と打って変わって、卒業論文を制作するフリしてバイトだけしている2019年は、正直なところ暇だ。

僕のボサっと空など眺めて考えごとする時間が、実に増えている。

そうは言っても、暇であるが故に考えごとできるという状態に幸せを感じているのも事実。
今の僕は、ほとんどタレスなのだ。

最近の考えごとと言えばやっぱり、進路が決まっていない春からのこと。

友達はキチンと就職先を見つけて、
卒業論文だっておそらく書き終えていて、
多分、今日も明日も「寒い寒い」と街に繰り出し、その割には「とりあえず、生で。」と飲み惚けているんだろう。まぁ、そうに違いない。

お金も無い僕は、ファミレスでバイトしながら「オトナになるとはどういうことだい。」と考えている。

日々経済が世界を動かし、経済の歯車は僕を含めたヒトによるものだ。

たまたま産まれ落ちたこの世界で、誰かのナニカの為に今日もナニカを生み出しては消費し、食って寝て、なんの疑いもなく明日がやってくるではないか。

僕だってそうした日々を淀みなく過ごして、
不思議と「あんなことやこんなことしてみたいなぁ。」と思うのだ。

トルコに行ってパン作って、実家のパン屋で新しい食パンを作ってみたり、なんだり、と。

でも、本質とはどこに宿るのか。
人生の意味は、一体どこに隠れているのか。
そもそも、僕だけが意味を見出せていないのではないか。

強烈な目的意識や、意味の創出が先だつことでしか、なにかを成し遂げることができないんではないか。

僕は、無用な入れ物に過ぎないのではないか。

冬空のくせに、妙に雲が、今日は大きい気がするなぁ。

なんてやっているのだ。

もし仮に、意味があってそれに付随する人生があるなら、もう僕はもろもろ間に合わない気がするから、ここは仕方もなしに、
意味も目的も、アトから付いてくるものだとしたい。

なんとなく散歩してたら、たまたまカワイイ花一輪見つけたとか、すごくタイプの女性とスレ違っただとか、ここぞとばかりにお天気雨だとか、なんだかんだ起こると思うのだ。

なんだかんだ起こった出来事が、
無用で空っぽの僕を、埋めてくれるのではないか。

またあの花が見たいから明日も散歩するのだとか、再びあのタイプの女性にスレ違った時は、
話しかけたいから男を磨いてみたり、折りたたみ傘を買ってみたり。

案外、アト追いでも人生に色付けすることは出来る気がする。

自身を突き動かす大きな衝動はなくとも、
否応無しに人生は前に進んでしまうから、
まぁ散歩してボサっと考えごとしながらでも、
きっと多分、点と点は繋がるんだと思いたい。

僕は、何かにかられたように没頭出来る人を見るのがすごく好きだ。

無用な入れ物に過ぎない僕は、空っぽであるが故に、人のお手伝いがまぁまぁ好きなのかもしれない。

なにも自分では選びとっていないような日々も、それはそれで、自分の意思決定に基づいているのだと思う。

多分まだ、僕の主題であるパン作りにおいても、whyは見つからない。

ほらだって、カリカリ梅の種を噛んで取り出すあの白いヤツと、whyは似ていて、
そんな簡単に手に入るものじゃないと思うの。

自分の良心に従って生活して、
時に散歩して、ふとした時の違和感を深掘りしたら、ようやっと人生に意味が生まれるんだと思う。

その時まで、やれることと、やりたいことを
頑張ってやるのが、良さそうだ。

現代社会では、存外、手段が溢れて
主題が見つけにくいのかも知れないなぁ。

#随筆 #エッセイ #散歩 #生活 #目的と手段






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久保田真司

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