熱中。
ピーナッティーの存在をここに記す。
そしておそらく、このエッセイが、最初で最後のピーナッティーについて記された文献となるのだろう。
私にとって、このピーナッティーの記憶が、ある意味で小学生の時分を象徴する類まれな宝物なのだと思う。
読み方は、「ナッ」でも、紅茶のように「ティー」を読むのでもなくて、「ピー」とそれに、惰性的に後続する「ナッティー」を読めばよい。
ピーナッティーは15分を目安に行われ、ピーナッティーの一部始終、尽く一切合切を他者が見ることは出来ない。
そしてこの機密性こそが、ピーナッティーをピーナッティーたらしめる掟であり、そこには、さながら隠れキリシタンのような高尚さすらあった。
このピーナッティーに関わった人物は、私を含めたわずか4人であり、6年間という長い小学校生活のなかでピーナッティーが行われたのは、2年次の数ヶ月間、わずか20回ほどだけだった。
それでも、私の宝物の様な時間であった。
ピーナッティーを行うには、いくつか必要なものがある。
まず、ヘチマである。さらに、このヘチマ、通常のヘチマでは意味が無く、かっさかさに乾きスポンジ状になったヘチマでなければならない。
当時の私たちは、中庭の畑に転がる乾いたヘチマの中でも、型崩れしておらず、黒い部分が無い上等そうなヘチマだけを使ってピーナッティーを行った。
ただ、小学2年生の当時は「ピーナッツみたいな色カタチの何か」が、まさか乾いたヘチマであるとは認識できずにいた。
そしてその無知さが、ピーナッティーと言う名を産んだ。ピーナッティーが乾いたヘチマであると知ったのは、小学4年生の夏であったように思う。
乾いた上等そうなヘチマのほかに必要なものがあって、ゴミ拾い様の鉄トングである。
ボランティアの町清掃でビニール袋片手に持つあれである。
このトングにも私たちはこだわった。
極力、掃除用具入れの中でも最新のトングを使うことで、ベストパフォーマンス、この場合は、ベストピーナッティーを心掛けた。
お昼休みが終わると、サッカーボールを抱え込んで水道でがぶがぶ水を飲み、所定の位置までボールを片すと、皆、清掃の時間が始まる。
週替わり、「班」ごとに割り振られた掃除場所へ、散っていく。
サッカーを終えた私たちが、「中庭掃除」をしていた時であった。
同じ「班」の1人がのちのピーナッティーを見つけ出した。
隅っこの畑からそれをトングで持ち出し、見せてくれた時は驚いた。
まるで世界がおかしな方向へ傾いたかのように驚いた。
肌色と茶色の中間色をした大きなピーナツ型のスカスカの何か。
誰かが言った、「ピーナッティーだ。」と。
中庭掃除用用トングで掴んだ、なにとも分からないピーナッティーを見つけ出した友達が投げた。
当時、同じ班に恋焦がれるほど好きだった女の子がいた。
トングを離れたピーナッティーは宙を舞い、その女の子に当たった。
足元に落ちたピーナッティーは、ポトリとも、パサリとも、サッカーボールとも異なる質感だった。
もう1人の友達が好きだった子の足元に落ちたピーナッティーをトングで拾い上げ、私に投げる。私はサっと身を引き、逃げる。
この時、唯一無二のピーナッティーが誕生したのだ。
「このピーナッティーに乗じて好きな子と仲良くなろう。」と目論んだ私は、自然とその子と2人組みになった。
もとより4人班だったため、私と好きな子チームと、もう一組男女ペアチームに分かれた。
ピーナッティーに明確なルールは特に無い。
トングで持ったピーナッティーを投げて相手に当てる、それが、ピーナッティーなのである。
「掃除したくない。」3人と、「好きな子と仲良くなりたい。」私が、妙に熱狂できたのだから、それで、それだけで良かったのだ。
「先生たちはもちろん、中庭掃除をしている俺たち以外の人に見られたらダメ。誰かが通りかかったら何か拾っている風を装う。」ことは、暗黙の了解であった。
友達がピーナッティーを見つけたその日から、私たちは、ゴミを拾うでも、玄関の掃き掃除をするでも、律儀に掃除の反省会をするでもなかった。
中庭掃除の度に、ただ、ピーナッティーをした。
今思えば、バカバカしい。
けれども、そんな愚直な健気さと、ピーナッティーへの熱中時代は、やはり、尊い。
まじめに掃除している人の目を盗んで乾いたヘチマを投げて遊ぶ私たち4人の存在は、猛烈に反社会的である。
それでも良かった。
好きな人と僅かな時間を楽しみたい、自分たちで見つけた面白そうなことを愛したい。
スカスカのヘチマとは裏腹に、
あの4人で中庭掃除をするピーナッティーな時間は、私の小学生の時分を象徴する濃密な時間であった。
「たった、そんなことに熱中できた時代が、
私にもあったのだな」と、思う4月の入り口なのだ。
放っておいても流れ行く時間に、ただ季節を重ねる暇は、存外、無いのかも知れない。
価値を産み出す営みが、必要なのだ。
ピーナッティーの本質は、そこにある。
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