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「ここは東京?」

「日本のどこ」かもままならない「山梨」という地味な所で、21年間のほほんと生活している私にも「都会の大学生」に憧れた時期はあって、進学校を名乗る高校でトゲトゲ勉強していたりもした。

どことなく夏の暑さがアスファルトに名残を見せる頃、大学受験の下見と気分転換を兼ねて東小金井に降りた後、ほんの出来心で、渋谷に出向いた。

この、渋谷遠征は、私の人生を変えるに十分な出来事だった。

「毎日こんだけの人の中で息するのはしんどい。酔いそう。」と、渋谷の改札を抜けてすぐ、いとも簡単に心が折れてしまった。

「東小金井ならまだしも、東小金井なら山梨でいい。都会は、自分の生活スペースではない。」そう感じたとき、都会は、私にとって、「遊び」の一部になった。

何でもあるし、色んな人がいて、絶えず何か音のする都会に比べて、山梨ときたらもう、22時になったら物音一つしない。おじいちゃんとおばあちゃんしかいない。なんにもないし。

「ひどいもんですわ。」と思うと同時に、「それがいいな。」とも思う。

刺激が少ないことは確かなことなんだけど、生活に必要な、「余白」が確保されていることは、何よりも大事なことだ。

内省的な夜も、実感としての春の訪れも、
「なんにもない」景色も、
大変に素晴らしい「遊び場」なのだ。

いや、「遊び場」よりモノが無いし、
「砂場」かも知れない。

水で固めた泥団子とか、砂のお城とか、
トンネルとか。
「あ、スミから水を流して水路を作ったりしたかな。」

余白が、提供する「見つける楽しみ」は、
山梨、というか、「田舎」特有のものだと思う。

DIY的で、グレードアップし続けられるのは、
「なんもない。」田舎ならではなんじゃないかなぁって、思う。

都会的で、オシャレで、もうなんていうか
ちょっとしたsuchmosみたいな生活は、たしかに憧れるのだけど、憧れにすぎなくて、
私が願う生活ぶりは、田舎でしか想像できない。

「東京に行く。」だけでデートになるわけじゃなくて、来るだけじゃ物足りないのが田舎で、
「なにをするか」、「何を見るか」、が大切なのだ。

そしてそれは、大切な人との関係性にも似ている。

恋人と「会ってるだけいい。」のは、
多分、高校生までなんじゃないかなって、
大学生と社会人の私たちは、思っている。
(はず。)。少なくとも、私は。

だから、多分、都会が「友達」なら、
田舎は「恋人」なんだと思う。

田舎でも、彼女とも、
余白に佇む雰囲気を楽しみながら、
じっくりと関係性と生活を成立できたら、
いいなぁ。

「あそこの空き地買ってカフェでも始めようか一緒に。」なんて言ったらもう、ワってなる。

#エッセイ #ローカル #随筆 #恋人 #余白 #DIY



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