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今日は何考えて生きてく。

朝はもっぱらパンとスープをいただきたい。
僕の冷凍庫には、アパートからチャリ圏内でもとくに優れたローカルパン屋の食パンが、1人暮らしにしては少し多めに、常に、入ってる。

目覚めの春というか、ただの解凍というか、
きっと多分食パン達は、朝僕に食われるのを待ってる。

たまにはカノジョもアパートにやってきて、朝は一緒に食うから、夜忍ぶようにやってきたカノジョを察知したならより一層、待ってるんだろうなぁ、アチアチのオーブンで黄金色にトーストされるのを。バターをガシガシ塗られたりも。

なんて考えてみる。

明日はトマト缶の残りと野菜カスをかき集めてスープとして、安く買えた鶏むね肉で作った鶏ハムのホットサンドを食べるんだと。粒マスタードで味を整えようとか。

そんなことを思って、夜を過ごす。
カノジョがいるとそんなこと考える夜はナイ。いやまぁ、少しはあるかもしれないけど。

きっと朝ごはんのことばっかり考えてる僕を、カノジョはよく思わないだろうし。

なんて思ってると、「明日のお弁当は?」
とか、「朝ご飯ナストーストにでも」なんて聞いてきたりするので女ゴコロは分からなかったりする。いいよ僕作るよっていうと少し喜ぶので、またさらに分からなくなる。

塩梅が難しいのは存外、もやし炒めに使うお醤油の分量に限った話じゃないんだなぁと思うことが増えた。ちょっと油断すると、色がとってもついて見た目にしょっぱい。

1人で暮らすようになって、仕事帰りにスーパーで、19円のもやし2袋と27円の豆腐一丁、大きめの鶏むね肉1枚261円、3個入りで131円の玉ねぎを買って来るのが4日に一回程度の半習慣化している。

火曜日はもやしが9円だったりしてなんだか少しハッピーになる。
ただ、そんなことでハッピーになるが故に後から少し情けなくなったりもする。

そう思うと1日かけて、僕は何も難しいことを、
社会のためになるようなことを、考えてはいないのだなぁと、毎食のことくらいが頭にあって、もちろんカノジョのことも忘れてはいないけど、やはりそれがどうしたと言われればそれまでである。

ただそれでも、必要以上に、僕がスーパーで鶏むね肉のパックを入れたり豆腐を一丁入れるビニル袋を、やみくもにかッさらうおじさんなんかみると、ちょっと多くはないかい?と言ってみたくもなる。

赤ちゃんを抱き抱えながら買い物する人のカゴを持ってみたくなったり、入口を塞ぐように何か大事そうに世間話するおばさま方とかもいたりして、でもまぁそんなことは、
ほんの一瞬心になにかを宿してはパッと消えて、気がつけば、シャワー浴びて、冷奴とビールをやりたいよと思っている。

きっと多分、僕が今日の仕事で出向きクッキーを販売した保育園の子どもたちに、
「明日はなにをしたい?」と聞いた方が、よほど世間のためになることを思ってるだろうなと思う。そもそもちっちゃい子たちの笑顔は、
それだけでハッピーだもの。

どうも、思うことは、あるのだけど。
考えるっていうのは、そうそう自発しない気がしている。

朝ごはんのことですら、
食べたばかりの晩ご飯の炊き込みご飯が消化されて、少しずつにでも腹が空いてきてるからなのだろう。

#エッセイ #随筆 #生活








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