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他人の「あわよくば」が気になって。

引越しに伴って今朝、ガス屋が訪問してきた。

僕だから良いけど、例えばキラキラ春から女子大生が一人暮らしする家にも、ガス屋のおじさんは、「今日はよろしくお願いします。」とヅカヅカ入ってくるのだろうか。

そんなことが、僕には気になってしまう。

「あわよくば」のチャンス、略して「あわチャン」。案外、身の回りに落ちている気がする。
というよりは、他人の「あわよくば」が気になってしまう。

電車のロングシートに座っているサラリーマンだって、「あわよくば、肩お借りしたい所存。」でウトウトしてるに決まってる。

たまたまコンビニのレジ打ちが知り合いだと分かったのなら、あわよくばオマケしてくれんだろうか。とか、700円以上お買い上げで引けるクジをこの店員が剛腕ふるってアタリ券にすり替えてはくれんだろうか。と、「あわよくば」伺っているはずで。

別に僕は良いんだ。別に。
ただきっと、他の人の心にも、
傍目にはすまして見える他人の心のうちでも、
「あわよくば」が大渋滞しているんじゃなかろうか。

渋谷を散歩する女の子は、あわよくばサラリーマンにディナーを奢ってはもらえないか、とか。

あわよくばインフルエンサーへのレスがバズれば、とか。

みんながみんな、何か得体の知れないコトを、実は心のうちで、待っている。

あわよくばね。

僕の心にも「あわよくば」は、いつもいる。

表層化されない自分も、他人も、この世界の住民。
あわよくば、自分だけ幸せになれないかと、
思ってしまいそうになる。

きっとそんな、コンビニのクジのコトとか
込み入ったコトは考えてはないと思うのだけど。

僕には気になってしまうのだ、
どんな気持ちで人がコンビニクジを引くのか。
何を理由に、意思決定するのか。

そもそも、あわよくばの、あわってなんだ。

#エッセイ #随筆 #あわよくば #あわよくば就活しないで就職先が決まれば良いのにと思っていたよ #あしたの風に吹かれないで

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