4月になってもこどもな自分が気がついたイイオトナのこと。

「なんでも出来る気がする。」そういう万能感にかられ、春をも追い越す勢いで大学の卒業式、その後の就活、即採用と怒涛のごとく社会への扉に手をかけた。
その勢いに任せて気が大きくなっていた僕。

4月になって、「もう大人にならねばいけないよ。」という事実から目を背け、斜に構えた結果、3月中旬にいただいた内定を蹴った。
4月から一人暮らしをすることだけが決定した。気がつけばネオ・フリーターになっていた。

4月の上旬から今日まで、実に永く感じた。

ネットサーフィンして、近場で希望に添う職場を一から探して、自転車で面接に行き、
ことごとくフラれてきた。5.6件以上この2週間弱の間に面接した。

パン製造希望で社会福祉団体が運営するパン屋に電話をかけた。

そこは、障害者の自立を支援しながら、極力「普通のパン屋」を目指す。そういうコンセプトのパン屋だ。

面接担当のお2人と話しをする中で、
僕は自分がまだコドモであることを悟った。

お2人は僕の話しを聞き、僕のこれまで(パン修行等)と、これからの思想を考慮して下さった。

「一応働けるよう椅子は用意するけれども、きっとアナタの希望には添いきれないから、他所で見つかれば、他所に行きなさいね。アナタはきっと、将来大成するから。」と一言添えて。

そうか、「これが大人かぁ。」と。

お2人の言葉に甘えて、返事を保留しながら
また同様に、別の福祉施設が経営するパン屋に応募し面接をした。

3人の福祉職員(内1人シェフ)も、よく僕の話しをきき、「おもしろい、おもしろい。」と頷きながら、「アナタの予定もあるでしょうから早くに結果を報告します。」と心地良く面接させていただいた。

僕は、二箇所目の面接結果を待つ3日間で、
これからどういうスタンスでパンと関わっていくか考えた。

もとより職人気質ではないけれども、
パンとはなにか、パンと人との営みを考えるのは好きだった。

福祉施設で、隣にいる人のことを思って働き、
生産し、顔も見えないかもしれないお客さんにどういう風に、パンを口に運んで欲しいかを
僕は考えていた。

色んなことを加味し、一箇所目の福祉施設で福祉職員として働く道を選んだ。障害者の人とクッキー焼いたり、陶芸したりするお仕事。
きっとパンは、どこかのパン屋さんでバイトしながら製造すると思う。

たかだか面接ではあれど、
きっと、それを通じて分かることなんて少ないとは思うのだけど、少なくとも分かろうとしてくれる大人が、身近な部分に点在しているのだと、僕はこの4月に知った。

インターネットと距離の近い僕(たち)は、
どこか、身近な大人を昔の人たちと斜に構えて見ているんじゃないか。

なんでも分かった気になっているんじゃないかと。

詳しくは言えないけれど、大きくなった気に任せて、僕は失敗した。
しょうもないことで失敗したから、手元に何もなくなった。とても不安な日が続いた。
カノジョがウチにやってこない日は、特に辛かった。

けれども自分に対して諦めがついた部分もあって、「まだコドモだな。」と、
面接を通して、営みを通じて、「イイオトナ」の側面に触れることが出来た。

社会人一年目として、なんだかとても大切なことを知れた気がする。

凄く、結果オーライなのだけど、
「これでいいのだ。」と、言ってみたくなった。

これから先、社会人◯年目の僕は、
社会人一年目の僕になんて言うのだろう。
毎年の桜のように、見ものではないか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?