温泉で感じた、ぷりぷり感。

一番馴染み深いのだけど、何年も行っていなかった温泉に行ってきた。

最後に行ったのは、私がピーナッティーをしていた様な、小学なん年生みたいな頃なのだと思う。

おじいちゃんと市営バスで行った記憶が蘇って、少し、照れくさい。

山梨の山奥にある温泉、平日だというのに、「おじいちゃんたちの同窓会かな?」って感じで穏やかに賑わっていた。

頭2つは抜けていたと思う。

20代の男性は私1人で、本当におじいちゃん達しかいなかった。

だからなのか分からないけど、自分の肌のぷりぷり感が妙に目立っていたんじゃないかと思う。

リクルートスーツしか見受けられない企業説明会に黄色のカーデガンで出向いたような妙ちくりんさが浴場にはあった。

この前、といっても学校の帰り道にどこかで何かの花の蜜を吸っていたような子供の頃、その当時は、ジャグジー風呂が妙に深くて上手く入れなかったのに、今回は随分心地よくジャグジー風呂に入れた。

顎まで浸かって、効能でスベスベになった自分の脚を5分くらいナデナデしていたのは、ここだけの話にして欲しいのだが、時に自分に対して「お疲れ様」を言うことは、単純にいいことなんじゃないかと思う。

他人に対して、「頑張れ」とか、「お疲れ」とか言うと、ごく稀に「無責任」が発生するから難しいのだけど、自分に対して位は、好きなときに好きなように「お疲れ様」が言える素直なやつでありたい。

そういう素直の蓄積が、都合よく生きる戦略なのだろう。

露天風呂には、温泉で温めながら日本酒を飲むときに使う徳利入れが浮かんでいた。

今時古臭すぎて誰もお風呂酒なんてしないのだけど、そういう慣習は、無理して排他するものでもないなと思う。

山梨から新卒研修で青森に行ってる私のパートナーもホテル生活が何日か続いているのだろう。山梨に帰ってきたら、温泉にでも行けたら良い。

時間を追いかけることすら適わない日々の営みなのだけど、立ち止まって、お風呂上り特有ののどの渇きなんかを家の冷蔵庫にある父の缶ビールで潤しても罰は当たらない気がする。

父にもたまには缶ビールの1つや2つ買って上げなきゃ、いつか罰が当たるんだろうけど。

私たちは「毎日」を繰り返す中で多すぎるほど上書き保存している気がする。

流れる時を追いかけることすら出来ない、そんな毎日を繰り返すなら、毎日リセットして、寝る前に「お疲れ様」が言える、穏やかでどこかなんとなく、早熟なおじいちゃんみたいな私になれたらいい。

存外、早熟なおじいちゃん的日々の営みの解像度は高い気がする。

ジャグジー風呂のおじいちゃんとシャンプーしているおじいちゃんが「上がったらビールけ?」「日本酒でもいいよぉ」なんて話しをしていたから、うっかり湯に浸かっていた私もクスッと笑ってしまった。

「俺もビールのみたいなぁ」なんて、そんな呑気な月曜の夕方の話。

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久保田真司

僕っぽさみが深いやつ。

ごたごたしてるからこそ、なんかいい。 そんな風に楽しんでもらえるエッセイかなあって。
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