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平成31年4月1日に書いておきたい。

このまま実家に居たら泣いてしまいそうだった。少し急ぐように、僕は21時27分発の電車に乗ることにした。
5分かけて、最寄駅へ向かう。

時刻は21時02分。

「れいわ」と呼ばれる新元号が発表されて、
9時間半くらいが経とうとしている。
僕も家を出る。まだ風は冷たい。

何か始まる時、例えば小学校から中学へ上がる時だって、高校を卒業する時ですら、どこか間の抜けたような気分で、僕はいた。

心の中では、これから始まる新生活というコトに対してだって、間の抜けたいつもの僕でいたいのだ。

小うるさい母のことなんて好きじゃない、
むしろ嫌いだと思ってここまでやり過ごしてきたし、心配性の父のことも、少し疎ましい様な気分でいた。

我が家で過ごす時間はさながら修羅のようで、僕にとってマイナスな時間だと思っていた。

時間が、季節が、僕を置き去りにしようとしている。

4月に頭を突っ込み、目線の先には新しい時代がある。

時間に任せて前に歩いている僕は、
疎ましく感じていた家族の外にある新居へと向かっている。それなのに、どうも足取りは軽くない。重たく感じる一方なのだ。

なんだか重たく感じていた家族という不思議な繋がりや、不自由さ、ヌルさが、手元から無くなりかけた今、僕はようやっと、月並みに程度にその大事さに気づこうとしている。

閑かなホームで、あと20分待たねばイケナイ。

僕は仕方のないことを考えていた。

もう長らく会ってない友達のこと。
今働いているカノジョとのこと。
これまでのこと、これからのこと。

きっとこれからだって、季節と日々の生活は、
僕のことなどお構い無しにドンドコ進んでゆくであろうこと。

そんな焦燥感たっぷりの日々で、
これまでの自分も、これからの自分も、
全部まるっと大事に出来たら、という祈りにも似た意思。

これまでも、これからも、きっと今が繋いでくれているんだって、僕は考えた。

認めたく無いけど、きっと僕は、家族中の手塩にかけられて育てられてきた。
家業を継ぐ孫として、初の子として、お兄ちゃんとして、生かされて、今電車に乗ろうとしている。

これからは、きっと誰かに迷惑をかけたりなんだかんだしながら、毎日パンと向き合って、
時にカノジョと喧嘩と仲直りを繰り返して生きてゆく。

毎日、きっと意味なんて無い日々の暮らしの中で、目の前にある出来得ることを少しずつアップデートしながら楽しむことが、最適解なのだろう。

発酵(パンの道)に進むキッカケになった元師匠も、「人生に意味は必要ない」と言っているからきっと、そうなんだと思う。

これまでの僕を大事にすることは、
これまでの繋がりを大事にすることと同義で、
また同様にして、これからの僕を想うことが、
いつかどこかの他者を想うことであるなら、
僕は今できることを、丁寧にやりたい。
出来ることなら、それを楽しみたい。

とある誰かは、「令和」を、「命令に従えば平和」と言ったらしい。

モノゴトの見え方は、案外、自分が決めてもいいと思う。

僕は、都合よく色メガネをかけて生きているから、「昭和と平成と、令和と平和」の話が好きだからそちらを思って、此度の新元号を迎え入れたい。

昭和生まれの父と母から、僕は平成の時代に何か重要なバトンを受け取った気がする。

電車は順調に僕を運んでくれた。

少しの不安と、そこそこのワクワクが同居している、ここは新居。
実家から実に24分の長旅であった。

明日の9時、ガス屋が開栓にやってくる。

#エッセイ #随筆 #新元号 #新生活 #1人暮らし #春 #ちょっと不安なこともあるよねという話




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