小学生の頃、ボクたちは、一体何を社会科工場見学してたのか。

誰しも、一度くらいは工場見学に行ったことがあるんではないかと思うのだ。

思えば、小学生の時分、各クラスごと、例によって給食当番風の装いで、何とも分からない機械が立ち並ぶ生産ラインのお話と間延びしないためのクイズをこなす社会科工場見学の記憶がある。

「一体何を見せられているんだろう。」。

どことなくそんな空気が、工場内に蔓延っていた様に思う。

少なくとも、私は、そう思っていた。

マヨネーズが絶えず流れるラインの様をどうやって感動するのが正解であろうか。

社会化工場見学という文字列には、ぎゅっと、こう、なんというか、ありとあらゆる不毛なものを詰め込んでいるんじゃないかとさえ思っていた。

「一体何を見せられているんだろう。」から、ある程度の歳月が経って、日本史を学ぶ頃、「あの時のボク」が見た「マヨネーズの利根川」は、資本主義経済で戦い続ける企業が絶えずアップデートしてきた生命線とも言える生産ラインであったことのだな、と深く認識した。

それでも、なお、「社会科工場見学、あれは一体何を見せられていたんだろう」という、妙ちくりんな朝もやは晴れず、企業への一片の尊敬と共にそれは心に棲み付いていた。

「あの時のボク」から十年程が経った今でなら分かることがある。

学年全員を率いて向かった社会科工場見学の真意は、資本主義経済が作り上げたマヨネーズ工場の無駄なき生産ラインそのものなのではないか。

「こういう風にして、普段私たちが食べているものが作られていると知って、びっくりしました。」などと閉会式の学年委員あるあるを言っている暇なんて、これっぽっちも無かったんじゃないか。

大人の先生たちは、「目的を達成するために、人は、デザインするんだよ。」と、マヨネーズ生産ライン越しに伝えんとしていたのではないかと思うのだ。

言われてみたら、巧い人の文章は、完成されたデザインそのものである。

「伝えたいことを伝える。」そういうデザインを文章全体を通して完遂されている。

デザインが美しいのは、スタートからゴールまでがはっきり見えているからなのではないか。

最速最安値で生産され続けるマヨネーズの螺旋を目で追うなかで、当時の先生たちは、「デザインとは。」を静かに教えてくれようとしていたのだ。

それを呑気な私という人は、「一体何を見せられてるんだろう。」などと、大いなる時代を築いた資本主義経済の賜物を上から見下し、欠伸までしていた。

「人の目的を形作る。
それがデザインである。」

先生たちの真意は、分からないし、多分、というか、どう考えても私個人的な妄想なのだけど、「何か創作する」のであるなら、再三思い返したいことだな、と思うのだ。

ただまぁそうは言ってもやはり、この随筆は、社会科工場見学にありもしない一滴の物語性を垂らした妄想だ。

もう、もはや、マヨネーズ工場だったか、社会科工場見学に行ったかどうかさえ、怪しい。



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久保田真司

僕っぽさみが深いやつ。

ごたごたしてるからこそ、なんかいい。 そんな風に楽しんでもらえるエッセイかなあって。
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