2023年 もがきながらも進歩があった年
2023年。
もがいた1年だった。
けど、その中でもちゃんと進めたことはある。
1年が終わる今日くらいはそんな自分を認めてあげようと思う。
自分の中での進歩は、それまでいたコミュニティから抜けたことだ。
私はそのコミュニティの目が気になって気になって気になって仕方がなくて、コミュニティにいる人たちに嫌われないような発信をしていたから、そこから抜けたことは私にとって大きな意味があった。
ただ、抜けるまでに半年以上の時間がかかった。「抜けたい、でもお世話になったし」とか「嫌われたくない」などとどうしても考えてしまったからだ。
昨年末くらいに、コミュニティの目を気にして発信をしていることや、教科書をただなぞっただけのものを自分の考えだと思い込んでいることに気づいて、2023年は自分を育て直そうと決めた。
1月から3月は毎日、「コーチだからこういう発信をしなければ」という考えは捨てて、日記のようにnoteを更新し続けた。
そうしていくうちに人の目を気にすることなく発信できるようになり、「もっと発信を上手くできるようになりたい」「早くフリーランスコーチになりたい」と思って、あみさんにコーチングをお願いすることにした。
いざコーチングを受け始めてみると、思っていたようにはいかなかった。
私は「あとは発信さえできるようになれば大丈夫だ!」と根拠もなく自信を持っていたのに、その自信は早々に打ち砕かれた。
何も変わっていない自分に気づいてしまったからだ。
人目を気にせず発信してるつもりだったのが実はめちゃくちゃ気にしてたり、自分に自信を持てるようになったと思っていたのに「私は底辺でいるべき人間だ」という考えから抜け出せていなかったり…
月1回のセッションの度に「私はダメなんです」とあみさんに話しては何の成長もない自分を責め続けた。責めなくていいとわかってるのに責めて辛くなって、そんな自分をまた責めて…という負のループにはまっていた。
そこから抜け出せたのは、あみさんが愛想をつかさずに「一緒に戦いたい」と言ってくれたからだ。
(その時の記事がこちら)
この記事を書いた後も思うように動けなかったけど、私と関わることを諦めないでいてくれる人の存在は力になった。「こんなに応援してくれる人がいるんだから、その応援に応えたい」と思って、私も諦めなかった。
そうしていく中で、ようやくコミュニティが私にとって壁になっていることを認め切ることができた。
前から壁になっていることは気づいてはいたけど、「当時の手取り年収の約3分の1を費やして得たものは、金メッキを塗りたくってキラキラに見せている自分だった」だなんて認めたくなくて、「他に得たものもある」「いいこともたくさんあった」と無理矢理自分を納得させていた。
また、コミュニティを壁に感じることにも罪悪感があった。
そのコミュニティが私に合わなかっただけなのでコミュニティを否定する意図はないけど、否定してるように感じてしまったのだ。
どうやって壁になっていることを認めきれたかというと、「りささんはどうなりたい?どうしたい?」と問い続けてくれたあみさんの存在があったからだ。
私がコミュニティの目が気になっていることやそんな自分に嫌気がさしていることを話す度に、何を一番に考えるべきか常に軌道修正してくれた。
私は「りささんだからお願いしたい」と言ってもらえるようなコーチになりたいし、そのために飾らない自分を発信したい。
なりたい自分とコミュニティの目が気になる自分を行ったり来たりして、「あの場に居続けたら、なりたい自分にはなれない」「お金のことは悔しいけど、これから自分の活動で取り返していけばいい」「あの場にいた意味はずっと先の未来で見つかるかもしれない」と考えられるようになり、コミュニティから抜けることができた。
肩の荷が降りて余裕ができたからか、「すでに変わった自分もいる」ということに気づけた。
昔から何も変わっていないわけではない。
100%自分を好きになれてはいなくても、コーチングに出会う前の自分と比べたら、自分のことを少し好きになれている。
何より、以前は「私には幸せになる権利はない」と思っていたのに、今は「幸せになりたい」と思えている。
理想には到達できていなくても、ちゃんと進んできていたのだ。
音楽の存在も大きかった。
今年後半から好きなアーティストのライブに月1程度行き、そこで聴いた曲やアーティストの言葉に励まされたり、新曲を聴いたり以前に聴いていた曲を聴き直したりして新たな刺激や気づきを得たりした。
音楽がなかったら生きていけないと思うほど音楽には支えられていることに気づいた年でもあった。
コミュニティを抜けてからは、それまでよりは良いペースで発信できるようになったのも束の間、祖母との別れがあった。
悲しくて悲しくて、でも悲しみに浸り切る時間もなくて。
(この記事で少し触れています)
悲しみが癒されない中でも「こういう時でも発信しなきゃ」と思うものの、noteのアプリを開いても頭が働かず一言も言葉が出てこなくてアプリを閉じる日々が続いた。
そんな時に、あみさんがまた「どうなりたいか」を聞いてくれて、やっぱり私は自分の気持ちにも人の気持ちにも寄り添える人間でありたいなと思えて、無理にnoteを開くことはやめた。
そして、上の記事で書いたライブでほんの少し悲しみを癒すことができて、今は2024年はどうなりたいかを考えている。
2023年をまとめると、
もがきながらも進み続けていた
その中で大きな進歩もあった
何も変わっていないと思っていたけど、すでに変わっていたこともあった
コーチと音楽の存在が大きかった
という感じ。
まだ2024年にどうなりたいかは決めていないけど、今年よりは頻繁にnoteを投稿していきたい。
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