見出し画像

セーラームーンに時代がようやく追いつきつつある

間も無く35、今年36になる私にとってセーラームーンはバイブル的存在。

毎週VHSに録画して、いまだに処分できずに大量に実家の屋根裏に眠っています(親にはいい迷惑w)

そんなセーラームーンのキャラクター大投票がNHKでやってて、後追いで観たわけなんですが…

曲もストーリーも、改めて見ても良すぎて1人泣くハメにw

ゲストのヒャダインとしょこたんのオタク愛溢れるコメントも秀逸ながら、冷静な分析になるほどの連続。

勝手に深読み考察①タキシード仮面様何もしない説

これ、番組で出てきた中で一番印象に残った名言w

思い起こせばタキシード仮面様の必殺技は特に記憶になく。ピンチになるとめちゃくちゃ格好つけて(いい意味で)、バラを一輪投げて一瞬相手の動きを封じるぐらい🌹(たまにバラを複数本投げてピンチを救うこともあるけど、ほんとたまにで攻撃力はほぼない)

基本、すぐ、捕まるし洗脳されるし、番組出演者の言葉をそのまま借りるなら、それはまるでヒロイン。戦いの基本は意志の強い女の子たちが前戦に立ち、男は後ろから支える、というスタイル。

これが、新しいエターナル版になると「タキシードボンバー」という必殺技を授かっていることを、この特番で知って二度驚き。(必殺技のネーミングについてはさておき…)

男性にも必殺技が授けられる、言い換えれば必殺技がないとただ見守るだけじゃ求められなくなった時代に変わったという事なのかな?と勝手に深読み。

「僕が守るからしっかり闘っておいで!」というスタイルじゃ、女性が満足しなくなった。「闘かおうと思えば私たちだけで充分よ」とでも言われそうな、つまりは女性が強くなったとも言えるのかな。

勝手に深読み考察②ジェンダーレスなキャラクター

百合会の代表格としてウラヌスとネプチューンはもちろんのこと、スターライツもジェンダーレス(あ、分からない方は軽く流してください笑)。

みんな、戦士としては美少女戦士、つまり女性なんだけど、日常生活は男性として送るウラヌスとスターライツメンバー。スターライツの星矢に関してはうさぎちゃんにマジ惚れして、「もっと早く会えていたら」という歌を熱唱するぐらい本気だし、うさぎちゃんも満更でなくむしろその真っ直ぐ過ぎる恋心に苦しく切なくなる。

敵キャラでも、アマゾントリオのフィッシュアイは男の子なんだけどブルーの長い髪が印象的で、一人称「ボク」と言いつつ(声質もどっちとも言えない声色)まもちゃんに恋する姿は乙女(実際、プライベートの格好はスカート姿)。

当時は深く考えてなかったけど、これを自然と受け入れてた世代とセーラームーンに触れてない世代では、ジェンダーに対する考え方も違うのでは?と思う。何ならウラヌスとネプチューンカップルに1番憧れてたし。

や、ジェンダーレスどころかプラネットレス?スターライツは地球を守る戦士じゃないし、確か違う銀河系の戦士だったような…

当時は何にせよ、そういうあらゆるボーダーがなく、本当にどうでも良かったんだろうなぁ。男とか女とか地球人とかいう区別すらなく、いち個人、いち生命体?として魅了されて、その生き方とか考え方とかを良いとも悪いとも思わず、そのまま受け入れてた気がする。

最近、LUSHが性別や人種、年齢などの多様性に配慮し、一部商品名を変更することを発表してたけど、見直しの理由は「取り組みをきっかけに、『これってどうなんだろう』と立ち止まって考える機会に繋げたい」ということらしい。(引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/a17a0b2f44d54a2a794cc2e1f0320292944e96a6

「性別や人種、年齢、多様なライフスタイルなどへの配慮が十分にされているか」という視点に重点を起いて、「ミスゴージャス」や「乙女の戦士」、「コスメティックボーイ」、「東方美人」、「人魚姫」など、男女どちらかの性別を結びつけたり、連想させたりするような商品名を変更した、と記事にあって、最初に記事を読んだときはなるほど、と思いつつも「そこは別にいいんじゃない?」と思うところもあったり。

これも考え方は人それぞれだけど、きっと色々言う人がいるんだろうなーと。確かなことは、「取り組みをきっかけに、『これってどうなんだろう』と立ち止まって考える機会に繋げたい」という企業側の想いは達成されていると思う。

ちょっと話が逸れたけど、何が言いたいかと言うとLGBTとかBlack Lives Matterというハッシュタグが生まれるずっと前から、それらが当たり前に存在してた世界がセーラームーンでは表現されていたということ。

勝手に深読み考察③絶対的泣き虫リーダー

これもね、普通に受け入れてたけど、ガールズ戦隊モノのセンターが1番ヘタレで泣き虫だけど誰よりピュアっていう設定て、革新的だったんじゃないかと。今となっては結構基本スタイルのような気もするけど、愛されキャラであり、絶対的に強いわけではなく、絶対的に守りたくなるセンター。そして、それを支えるタキシード仮面様も、何度も言うけど決して最強ではないから2人足しても最強にはならない。どこまでも、セーラー戦士あっての2人。

きっと、戦後すぐの日本じゃ考えられない設定だよぁ、とも思う。平和ボケなんて言葉もあったけど、絶対的な強さを持つ、みんなを引っ張るリーダーをあからさまに求めなくなった時代の証でもあったのかも

(ちょっとそれるけど)個人的に大好きなNiziuのマコちゃんは、反対に絶対的リーダー。努力も実力も人一倍。セーラームーンとは全く異なるリーダー像で、30過ぎたおばちゃんとしては、「今の10代はこんな真面目で優秀なのか」と本気でビビって尊敬している訳なんだけど、今はそういう優等生タイプのリーダーが求められてる風潮にあるのかな、とも考察できる。

それはそれでちょっと息苦しくなったりしないのかなー勝手に杞憂してみたり。セーラームーンって、戦士もそうだけど敵キャラもどこか自分勝手な人間味があって、抜けてるところがあってそれがどうにもいじらしくて多様性を象徴してた気がする(と言いながらNiziuのマコちゃんも天然ていじられてたことを書きながら思い出した)。

勝手に深読み考察④世界の平和よりお互いが全て

セーラームーン好きならすぐにピントくるはず。ウラヌスとネプチューンの自己犠牲なんてなんのその、これは結構衝撃的だった。

絶対的カップルな2人が何度か敵の前で窮地に陥ることがあって、1人がやられると「はるかがいない世界なんて意味ない」と迷わず自分も後を追ったり、2人共倒れか味方を裏切れば力を授けると交換条件を出されると、これまた迷わず2人で味方を裏切って一緒に生き延びることを選んだり。冷静に考えたら、戦士だからあり得ない選択となりそうなところ、彼らは常に自分たちファースト。

言い換えれば自分をちゃんと大切にしてる。周りを不幸にしてもいいとは言わないけど、「身を粉にして働く」みたいな風潮がまだまだ色濃かった平成時代に、かなり斬新な考え方だったとは思う。きっと企業戦士!みたいな働きマンには到底理解不能なキャラクター設定だったんじゃないかなーと。

何が言いたいかと言うと、どんな生き方もどんな考え方も、「そういう考えもあるんだ」と一方的にジャッジせずに、一旦そのまま受け入れる、そんな芸当を当時の子どもたちは自然としてたのかと思うと、当時の方がよっぽど人間力が高かった気がする

年々、「こうあるべき」「こうするべき」「こうしなきゃ」みたいな呪縛に囚われて、勝手に自分の枠に他人を当てはめて攻撃してしまったり、自分自身も苦しく追い詰めてしまったり、先入観っていいこと1つもない。

世界が時代にやっとやっと追いつき始めてるのかな、と思いながらこの記事を書き始めたけど、きっとまだまだ自分自身も先入観だらけだし、先入観だってことにすら気付けてない枠にとらわれているんだろうなーと思う。セーラームーンに表現されてる、寛容な世界にはまだまだ届きそうにない。でも少なくとも、小学生の頃に自然とありのままを受け入れられてた自分は失いたくないな、と。そして今更ながら、武内直子先生、恐るべし。

そんなことを考えながらセーラームーンのサントラを聞き出したらお風呂でのぼせそうになったので、今度は名曲ぞろいのエンディング曲について書いてみようかな。そのうち。

セーラームーンだったらずっと話せるなー。今度Podcastのテーマをセーラームーンにして、同世代の友人と語り明かそうかな笑


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?