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第1話 マネキンと恋人

気難しい顔をした中年男性が麺を啜っている。俺の顔を凝視しながら。

斯くいう俺はマドロスが波止場で皿うどんを一枚ばかり食べているような顔をして、注文したスタミナラーメンが運ばれてくるのを今か今かと期待に胸踊らせて待ちぼうけ。

何しろ気難しい顔をした中年男性よりも俺の方が15分ばかし先に来店し、14分30秒ばかし先に品書きを閲してスタミナラーメンを誂えたにも関わらず、気難しい顔をした中年男性は来店して5分も待たずに注文の品を提供されて今、それを啜りながら俺の顔を凝視している。

実に旨そうな激辛担々麺をこれ見よがしに攪拌し、割り箸でもって熱々の麺を丼から高々と挙げ、宙空で一捻り、パリサイ人がブリザードの中でカキ氷の早食い競争をしているかのように冷房が効いている空気中へ晒して軽く熱気を冷ましてから、大きく開いた口腔へ麺を滑り込ませる。

ほう、ほう、ほう。

唇の隙間から湯気を吐き、気難しい顔をより一層気難しくさせて、まるでケムール人がクリームソーダだと騙されて健康青汁を飲まされて渋顏を作るみたいな顔になっている中年男性。

そんな彼に対し、俺は忌々しい気持ちがMAX最高潮に達して怒髪天を衝くが如く心持ちを隠し切れない気分に浸って、ぶっちゃけありえない不快感に全身総毛立ち、舌打ちと豚鼻の乱れ打ちをした。

すると、俺が座する卓の向かいに座する女人が、すっとぼけたアルマジロみたいな表情で、如何致したのかと問う。

目の前のアルマジロ風美女は俺が群馬県太田市へ出張へ行った折にスナックでナンパしてゲットしたスイートハニーである。

そんな彼女に対して、如何致したかも、烏賊が蛸したかもあるかよ。俺たちの方が先に店に入って先にメニューを注文したのに、あとから来たおっさんが頼んだクソ担々麺が先に出されて、あの気の抜けたチャールズ・ブロンソンみたいなおっさんがクソ担々麺を貧乏臭く啜るのを見せつけられるのが我慢ならんのだよ。先に注文した客の飯を先に作って出すのは万葉集が編纂された頃からの常識だろうがよ。と、愚痴ろうかとも思ったのだが、その魂の叫びを説くことによって、スイートハニーな黒ギャルに、何こいつ、チョ心狭いんですけどぉ、ウケるぅ、ってか、全然ウケねぇ。逆に引くわ。引きすぎて潮干狩り出来るわ。つか、よく見たらすげぇ不細工な野郎だな、こいつ。ガチでうぜぇ。本当マジ死んでくれ。とか思われて、この後のドライブの予定も反故にされては遣り切れない。

だので、俺は腑抜けたジョニー・デップのような風体をした店員に対しても渋顏の中年男性の客に対しても何一つ文句を言わず、疑問符を投げかけ続ける山姥のようなメイクを施している彼女へも、何でも御座らんと言っては本心をひた隠し、腕を組んでスタミナラーメンが運ばれてくるのを待ち続けた。

ラーメンを食べ終わる頃には街灯は消えて、店を出ると外は常闇であった。

常闇の中では黒ギャルはその姿を消し、側溝からはドブネズミの光る目が無数にある。

俺は恐怖のあまり、声にはならない声で絶叫して、黒ギャルをドブネズミの群れへ突き飛ばして一人駆け出した。

おそらくは中学生の頃の陸上競技会以来の猛ダッシュで闇を裂くように走った。

息が切れ、足の裏の水ぶくれが潰れ、糞尿を垂れ流しながら一心不乱で走った。

闇を越え、山を越え、森を抜け、里に出た。

里のはずれの畑に倒れこみ、呼吸を整えていると、真夜中であるというのに人の気配を感じて顔を上げると、そこには三人の女が青白い顔をして立っていた。

頭にハンカチーフを巻いた美しい瞳をした熟年女性が俺から背を向けて立っていた。

女性は三人ともに美しくて、俺は目を奪われていた。

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