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私はいかにしてゴー宣読者になりしか

定かではない記憶を辿ると、1995年の夏頃だったと思う。
ある日曜日の真っ昼間、私はいつものようにテレビをつけ、STV(日本テレビ系列局)にチャンネルを合わせ、笑撃的電影箱を観ていた。
当時北海道ではダウンタウンのガキの使いは電波少年なる番組とセットで、本放送から1週間から2週間遅れで日曜の昼12時から放送されていた。
私はガキの使いだけを観ていたので、12時20分頃にチャンネルを合わせたのだが、電波のその日のゲストがマンガ家の小林よしのりなる馬面のおっさんであった。
馬面の生首が甲高い声でテンパっているザマは見るに堪えなかったのだが、松本明子や松村邦洋が自分たちをマンガに登場させてくれと要求していて、どうやらその小林なる馬頭怪人は自らを主人公にしたエッセイマンガを描いているらしく、しかも小林はかつて「おぼっちゃまくん」を描いていたマンガ家であるということも番組内で紹介されていたような記憶がある。
それを知り、おぼっちゃまくんならば、小学生の頃に少し読んでいたし、アニメの主題歌も歌えるし、つまりは見知ったマンガ描きが自分を美化したエッセイマンガを描いているのかと興味が沸き、ガキの使いを観終えてからチャリを跨ぎ、近所の書店「本の店岩本」へ向かった。
チャリで5分ほどの距離にある本の店岩本に入店し、週刊SPA!を手に取り立ち読みした。
週刊SPA!は今でこそ中高年向けエロ雑誌に成り下がっているが、当時はそれなりに読ませるサブカル雑誌だったらしい。
しかし私はそのジャンルにまったく興味がないので、パラパラとページをめくり、小林よしのりのマンガを探して一読、感心してしまった。

あの当時はオウム真理教が事件を起こした頃であり、オウム真理教マジやべえ的な空気があり、そんななかでオウムについてひたすら白眼視するマンガは世間の認識と合致しており、またあの頃はまだ小林よしのりのマンガ表現はそれなりに有効であり、面白く読んだ記憶がある。
マンガの中で小林は自分と庶民だけは真っ当であり、知識人はほぼすべてオウム寄りでありダメであるかのように描いていたが、その辺りは当時からピンと来なかった。
あの頃は世間全体が「オウムマジやべえ」であり、オウム擁護派などほとんどいなかった。
確かにサブカル界隈などではオウム面白がり派や権力の暴走怖い系左派などが一部いたかもしれないが、そんなものはメディアのほんの一部のサブカル左派や左派寄りリベラルで、メディアの外である世間は圧倒的に「オウムやべえ」という空気であった。
今から思えば、それこそまさに小林の手口の一つ、小さな事実を大袈裟に広げ、自分の都合の良いように微妙に改変するというやつだ。
オウムからの名誉毀損裁判だって、あの手のカルト集団が乱発するやつに過ぎず、それを「死闘」などと喧伝するのはちゃんちゃらおかしい。
そんなことを言うのならば、私もゴー宣道場というカルト団体から「住所は特定している」などと脅され、さまざまな嫌がらせを受けている真っ最中ではないか。

ともあれ、それで変に感心してしまい、エッセイマンガコーナーの棚に行き、そこに置いてあったゴーマニズム宣言の単行本を一冊購入して帰宅した。
それが何巻であったのか覚えてはいないが、5巻か6巻か、そのあたりだったと思う。当時から私はマンガを読むのが好きで、とりあえず興味を持った作品はすぐに買っていたので、ゴー宣もその例に漏れなかっただけである。

帰宅して早速読んでみると、言っていることが荒唐無稽であったり、いかがなものかと首を傾げざるを得ないものや眉を顰めるものもあったが、マンガとして面白く、また自ら「ギャグマンガ家が無茶を言って笑いを取っている」というスタンスであるかのように言い訳をしていたので、真に受けることなく娯楽として消費していた。
しかし、この「ギャグマンガ家だから」というのは単なる責任逃れに過ぎないと当時から感じていた違和感でもあった。

さて、私はこのようにしてゴーマニズム宣言を読み始めたわけであるが、そこからどうしてゴー宣道場なる集会にまで参加するようになったのかは次回書いていこう。

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