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ゴー宣道場掲示板とMLについて

もう10年以上前の話なので、記憶も曖昧になってきているのだが、ウィキペディアによるとゴー宣道場の初回開催日時が2010年4月11日とある。
その当時、私は小林よしのり主催でシンポジウムをやるという試みについて冷めた目で見ており、さして関心も寄せてはいなかった。
小林の元担当編集者にその件について問われても、苦笑いを浮かべながら「あれはちょっと…、そこまで熱心に追ってないんで」と引いていた。
そもそも私は自宅にネット回線も引いていなかったのでゴー宣ネット道場の情報を得る手段もなかった。

それが引越しを契機に自宅にパソコンを導入、その時にやっとゴー宣ネット道場のサイトを閲覧することになった。
閲覧したところで特に面白みを感じることもなく、YouTubeでミュージシャンのライブ映像などばかり追う日々が続く。
その翌年、東日本大震災があった。
私は北海道在住であった為、あの震災を身をもって体験したわけではなく、メディアで報じられる映像でしか知らないのだが、さすがに何もしないわけにはいかないという思いがあったが、自分に出来ることは何もないという事実を確認することだけで日々が過ぎていった。
相変わらずネットを開いてもYouTubeで過去のお笑い番組を観たり、ミュージックビデオを観たりするぐらいでいたのだが、ゴー宣道場のニコニコチャンネルに掲示板があることに気付き、そこを閲覧したところ驚くほど投稿数が少なくて、その不人気コンテンツぶりに落胆したのを覚えている。

私自身ネット初心者で他の掲示板がどの程度の賑わいなのか関知していなかったが、一応著名なマンガ家であり、扱っているテーマも社会問題全般なのだから、それなりの人数が意見交換をしているのだろうと思っていた。
ところが大袈裟でもなんでもなく常連の投稿者が3、4人しかおらず、しかも投稿頻度も低く、平気で1週間ぐらい誰も書き込みをしていないなんてザラにある惨状だった。

今にして思えば、小林よしのりの世間的評価に見合ったものであり、何も私が落胆することもなかった。

自分が熱心に作品を読み、応援している作家が世間からまったく相手にされていないというのは何とも哀しいし、まして社会問題に取り組んでいる作家なのだから、その主張を社会に波及させなきゃならないのにそれが届かないのは切ないし悔しいだろうと奇妙な義憤にかられ、私はそれまで「掲示板に投稿する」ということを一度たりともした経験がなかったのだが、賑やかしのつもりでご挨拶程度の書き込みをした。

したところ、私の初投稿について「礼儀を欠いている」と、注意が入った。注意というよりも最早激怒に近い叱責であった。
その叱責した主は今現在も小林よしのりを狂信している例のサイトの管理人である。
私はそのレスポンスを見て、ポカン顔になった。

その後も私は仕事から帰宅したあと、空いた時間、というか晩酌及び寝酒をしながら掲示板へ頻繁に投稿した。
毎日欠かさず最低一回は投稿することで、過疎ってる場所を活気づけようとしたわけだが、何故か私の投稿に対して毎回イチャモンをつけてくる彼がいて、私は正直うんざりし、同時に得心もした。
ここがどうして過疎地であるのか、その理由は勿論小林よしのり自身が世間的には人気がないということもあるのだろうが、愉快に投稿しようとしても憲兵みたいな奴がいちいち投稿内容の正否を追及してくる為に嫌気が差して二度とその場に足を踏み入れなくなるのだ。
私もそこで退けば良かったのだが、「ナメんな、馬鹿。俺は俺の好きなように好きなだけ投稿してこます!」といった反抗心が湧き、その管理者然としと男からのレスポンスに対してきっちりと反論した上でお構いなしに投稿を続けた。
そうしたところ、相手はマトモに再反論するでもなく癇癪を起こし、時には自殺を仄めかしたり、また私のなりすまし行為をしたりして、こちらを撹乱させ、しまいにはイジケて「退場宣言」をして何度か姿を消してはまた舞い戻って来るということを繰り返すのだった。
そのことについては、上にリンクを貼ったAmebaブログにも既に書いている。

その憲兵みたいな彼だけではなく、他にいた投稿者についても私は違和感しかなく、「小林よしのりの読者ってマトモじゃねぇな」という思いが強くなっていったわけだが、しかし掲示板に投稿する奴が別に読者代表でもないし、それを平均的な読者像としてしまうのは早計である。
私はそう思い直し、ならば実際にゴー宣道場に参加してみて、この目でコアな読者連中を拝んでこよう、とまぁこのように考え、2012年6月に初めてゴー宣道場に行ってみた次第である。

第26回『保守って何? 〜自民党ならいいのか?〜』
ゲスト・タムケン
会場・アットビジネスセンター 東京駅八重洲通りhttps://www.nicovideo.jp/watch/so18107481

実際参加してみて感じたことについてはかなり前なのでほとんど覚えていないのだが、客席には絵に描いたような政治オタクがやはり多く、寝巻きのようなスエット上下を着ている奴や、サンダル履きで髪がボサボサな上にフケまみれの奴、和装の若い男や講演中なのに私語が止まらない2人組、その他色々、私が彦摩呂ならば「変人の宝石箱や〜」と顔の前で両手を小さく広げているところだ。

結局は掲示板同様にゴー宣道場のイベント会場でも奇妙に過ぎる変な人は多く、私は「まぁこんなもんだろう」と何だか悟り切ったような、また冷め切ったような、それと同時に去来する淋しさのような感情が入り混じり、「自分は自分、他人は他人」と割り切り、深入りしなければ良いだけだし、どうせ数年限りの限定イベなんだし、それまではライトな読者として掲示板に感想などを書いていくことにした。

そう思っていた矢先、よしりん企画のスタッフ時浦兼からメールが届いた。
ゴー宣道場に参加応募する際に申し込みフォームにメールアドレスを記入したが、しかしそれはあくまで当選メールを受け取る為に記入したものであり、他の用途で使用するのはいかがなものだろうかと私は少なからず不信感を抱いたのだが、それは不問に付した。

時浦からのメールの概要は「いつも掲示板での投稿を読ませてもらっている。貴殿の書き込みにはよしりん先生も興味を示しており、是非ともメーリングリストに参加していただけないだろうか。実はメーリングリストは掲示板以上に投稿数が少ないので、貴殿のような賑やかしが活気付けてくれたらと思っている。」というもので、実際の文章はこれよりももっと失礼な内容で、私は「コイツ常識ないんか?」と不快に思った記憶がある。
即答できるものではないし、とりあえずその日は寝て、翌日仕事から帰って来てパソコンのメールを開くと、時浦から催促のメールが届いていた。
「こちらは多忙ゆえ早急に可否の返事を」ときて、私は絶句した。
こちらの都合を一切考慮しない時浦兼(小林よしのり)の傲慢さにムカついたものの、「まぁものの試しに参加してみるか。嫌ならすぐに退会すりゃいいんだ」と怒りを鎮めて、登録申請の手続きを済ませた。

私がメーリングリストに参加した時、どのような投稿をしたのかなど覚えておらず、またすでに退会済みであるので過去投稿を検索することも叶わないのだが、私の初投稿に関して、現在も道場の門下生であり、ゴー宣ジャーナリストを名乗っているケロ坊なる人物が以前以下のように書いていた。

『最初に鷲尾がゴー宣道場関係で名を馳せたのは2012年までやっていた「掲示板道場」ですが、それは自分は参加していなかったので置いておきます。
そして、鷲尾はその掲示板での書き込みを評価されて、門弟MLに入ってきます。
その時の初投稿文を改めて読んでみました。
するとそこには今のアンチブログに通じるふざけた態度がありました。
「(過去のメールが)ちょっと膨大スよね?読まなくていい?」(原文ママ)
初っ端の挨拶からこの口調です。』

時浦から「賑やかし役」を依頼された私はそれに応じて、あえて佯狂を演じてみせたわけですが、冗談の通じない連中にしてみたら、不快極まりなく、「小林先生は何故こんな奴をメーリングリストに参加させたのだろう」と憤慨したのだろう。
ゴー宣ジャーナリストケロ坊の怒りはもっともである。

実は私は過去の膨大なメールをすべてとは言わないが、大体はざっと読み流していた。
そこでのやりとりはあまりに修羅場続きで陰惨極まりなく、それを引き継いだままであるから過疎化していると判断し、あえて過去のやりとりをまったく知らない陽気な馬鹿が迷い込んできた風を装って、場の空気を変えてゆこうと努力をしたわけで、いわゆる白鳥の水かき理論だ。
そんなことに思い至らぬゴー宣ジャーナリストケロ坊の輝く知性に拍手を送りたい。

私が道場掲示板やメーリングリストに加入した経緯はそんなところである。

私がメーリングリストに参加したちょうどその頃、仙台在住の門弟shinkimu氏が思い詰めたような投稿を繰り返しており、当然のことながら当時はその裏事情についてまったく分かっていなかった私はその状況下で、「なんか派閥争い起きてます?」的な投稿をした記憶があるのだが、もはやそれを確認する術はない。

当時の不穏な空気のメーリングリストについては次回以降書いてゆくが、その内容は私の記憶のみが頼りなので何とも心許ないがご容赦願いたい。

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