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今思った事 備忘録

腰痛が酷くて柔術を続けられなくなり、運動不足だった僕は通勤を徒歩に切り替える事にした。

自宅の世田谷から新宿まで考え事をしながらゆっくり歩いて1時間、急げば30分ちょいの距離だったと思う。普段は電車通勤だったが、待ち時間などを含めれば要する時間は電車通勤と徒歩通勤では大して変わらないのが意外だった。

わざわざ家に帰ってからランニングしたりジムに通うより手間が省ける。
難点は美味い武蔵野うどん屋が途中にあったり、はまぐりスープのラーメン屋があったりで、ちっともダイエット効果が無かった事。

それでも空気の悪い電車や駅構内を歩くよりはまし。最近はマナーの悪い人が増えて、毎日のようにシルバーシートで寝たフリをしたり、端のシートに座りながら横にバッグを置いて座る女性、大股開きのオヤジなんか見なくて済む。電車の車両って数百人が狭い空間に居る訳だから、おかしいのが必ず一人や二人はいるものなのです。

そんなある日、あの時が来た。震度5強と言うものの新宿のビルの中で働いていた僕は死ぬかと思った。部屋の物が散乱する状況の中、外の広い道路の中央分離帯でビルからの落下物を避けた。同様の行動を取る人で道は大勢の人で一杯になった。映画のロケでも見ているような光景だった。

ビルの間から見える東京都庁のビルはゆっくりと揺れていた。急いで動画に収めた。この時は本当に恐怖を感じた。大勢の人が帰宅難民になる中、僕はいつものように徒歩で難なく家にたどり着いた。

僕は高校卒業してすぐに合宿で車の免許を取った。あの頃は東京でも車が人気で三十代半ばまでは通勤にも利用していた。しかし子供ができてからは私鉄の駅が数分の距離だったので車の利用は無くなり、更新もしなかった。

ところが、あの地震の日から間もなく、僕は地方生活を決心した。
最初に住んだ場所では、地方の人は近くに行くにも車利用していて不思議だった。ところが紹介があって移り住んだ所は陸の孤島のような場所。電波もBSしか入らない。それを知って免許を再度取得する必要が生まれた。

車は手足のようになっていたので、その時点でも以前と同じように運転はできた。しかし僕は馬鹿らしいので「一発免許」で再取得しようとした。これが大変な苦労を要した。これは一般の運転とは異なり、非常に厳格にルールに準拠した運転を求められる。一つのコースに何十もあるポイントを暗記して、複数のコースの中からランダムにコースが選択され、試験が行われる。

同乗の試験官には警察署長が含まれる。いかめしい恰好をした警察署長が居るとそれだけでポイントを忘れそうになる。そんなのが仮免と本免の実技、座学とあって基準点をクリアしなければならない。

これが何度受けても受からない。何が悪いのかも分からないし、暗記と言っても実際に運転して慣れなければ頭の中のシミュレーションでは限界がある。こんなの初老の人間には無理だろ。と、諦めかけていた。

結局8度目のトライで合格した。費用も10万円足らずで済んだ。しかし受かる保証はどこにも無いので、どんなに運転に自信が有る人でもやめたほうがいい。金出して教習所で無難に取得するほうが確実だろう。それにしても日本のシステムは金取り主義。天下りの利権天国がこのシステムを変えさせない。この近辺だけでもおかしな事が色々ある。お主等も悪党よのお。

晴れて合格するまでには大きな苦難が他にもあった。仮免合格して帰路に向かう途中で痛風の大発作が発症した。東京時代に既に尿酸値は7を超えていたが、何年経っても発作は出なかった。仮免受かってほっとした所で足首の骨が折れたような痛みが継続した。こんな痛みヒールホールドやトウホールドでも経験した事がない。アンドレ・ザ・ジャイアントにトウホールドで力任せに足首を折られたような感じ。風が吹いても痛いなんてもんじゃない。尿路結石も経験したが、あれは意識を失うような痛さを超越したものだったが、痛風はこの激しい痛みの状態が24時間一週間続く。そしてそれが一週間で8割、一ヶ月で5割、40日で2割と言った具合に痛む。最悪である。
最初の一週間は一晩中足を上げていないと痛みが激しくて睡眠さえままならないし、1ミリも動かせない。しまいには床ずれができた。その状態でも這って一日数回の排便はしなければならない。便器に座るのに1時間以上かかる。脳の血管が本当に切れそうになる。体重は当然激減する。

仮免合格して痛風発作が出たので、また勉強しなおしだ。依然いつ合格するか先は見えない。本当にもう諦めようと思ったがネットで資料を集めたりして何とか合格できた。奇跡のような気分だった。情もあったのだろう。

免許交付の日、どこかで見たような大きな若者がいた。たしか高校野球のエースで巨人軍にドラフト指名で入団が決まった若者だ。まだ垢抜けしていないものの、キラキラ輝いて見えた。自信にみなぎっている。少し驕りも感じる。僕は多くの選手の人生も知っているから、困難や誘惑に負けずに頑張れよと心の中で言った。

結局彼の才能は開花する事なく潰された。悪い大人の餌食になった。景気よく楽しく酒を飲み、女と遊び、賭博に興じる。体は大人でも頭は小人。
どんなに野球の才能があっても、それは大人が作ったもの。勘違いしてはならない。周囲の大人がそれなりにケアしなければ今の世の中悪いヤツはそこら中にいる。おかしくなって当然。失敗を繰り返して大人になっていくものだけど、取り返しのつかないこともある。

今は周囲の大人はおろか、自分の親でも子育てを放棄する時代。
なんとかせんといかんやろ。

メモのようなものなので、乱文乱筆お許しを。

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