見出し画像

顔形

僕が子供の頃の田舎では「ガイジン」は滅多に見ることの無い、
珍しい生き物のような感じだった。知り合いになんて一人もいなくて、体が大きく、獰猛な感じの人が多そうだと遠巻きに見て思っていたものだ。

現在ではどこに行っても珍しくないし、外国旅行に行けば当然外国人しかいない。日本人を発見する事のほうが珍しい。そんな当たり前の事が昔は当たり前ではなかった。ほんの数十年前まで。

外国人だから、こんな顔をしているから、こんな人だ、とはならない。
顔は生まれつきのもので、精悍な顔だからと言って精悍な人ではないし、優しそうだから優しいわけでもない。

もちろん、人の顔は後天的に変化するものでもある。日常的に直射日光を浴びる時間が長い人と、ずっと室内にいる人では見た目に違うし、良い環境で暮らしている人と、過酷な環境で暮らしている人では表情が違う。

それが長年続けば表情筋の発達具合も変わってくるから、それでその人の内面を読む事も少しはできる。しかし科学では獲得形質は遺伝しない事になっているから、その家系がずっと良い環境だったとしても、顔が変わる事はないと言うのが現在の定説となっている。

そうだとしても僕らは他人を顔で判断する事が多い。例えば非常にスタイルと顔立ちが整っている異性が隣にいるのと、そうでない人が隣にいた時の反応は明らかに異なる。それは僕自身がそうですし、他人のそうした様子も見た事がある。外見によって異なった反応をしてしまうのは事実のようだ。

優しそうな顔をしている、誠実そうな顔をしている、悪そうな顔をしている、凶暴な顔立ちだ、頭が良さそうに見える、たぶん全部気の所為だろう。何の根拠もない、ただ生まれた時にそうした顔に生まれただけ。

実際にこれまでの人生で、根拠の無い判断をしてきたと思う。それはそれなりに人が好むものであるなら、有利だと言う根拠を有しているとは言える。しかし実際にはそれが有利だとしても、人生を決定付けるほどのものではない。それが災いする事もたくさん見てきたからそう言える。

最初から有利だと大抵の場合、そうでないものより努力しない。努力しなくても簡単に事が運ぶから。ただ、その有利さが一生続くものでもないし、たとえ続いたとしても、それが災いしてトラブルを招く事も少なくない。

きれいな人だから良さそうな人だ、には根拠が無い。外見とどう付き合って行くか。それって非常に重要な事だと思う、今日この頃。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?