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藤島健二郎との出会い、そして今

藤島さんと出会ったのは今から24年前。
当時、私は20歳。
正月に勤務先の雀荘にお客としてきたのが、出会いのきっかけ。
その翌年も正月に来客した。
正月以外はくることがなかった。
お互い無口なので、たいした会話はしなかった。

ただ、麻雀はよく打った。
メンバーは、藤島さん、私、山田圭さん(私の師匠、当時店長)、Yさん(店長の友達、東京の雀荘勤務)
と、仕組んだようなフリー卓だった。

当時は、1番麻雀が楽しい時期で、1番成長しやすい時期だったので、強い人たちと打つ麻雀が1番楽しみだった。

その年に、東京で再会した。

日本プロ麻雀連盟17期プロテストである。

私は、師匠とともに受験した。
1人初対面なのに、同郷というだけでよく喋る人がいた。

前田直哉である。

私はこの時、

この人とは仲良くなることないな。

と思ったが、今では、一緒に遊ぶまでは行かないが仲良くさせていただいている。

というか、休みをとってまで一緒に遊ぶということが誰とでもほとんどない。

プロテストの結果は、山田圭さん、前田さんは正規合格。(C3スタート)
ちなみにこの年C3が出来たので、正規合格者は確か11人。
11分の何人が昇級したのか分からなかったが、研修と比べると大きなアドバンテージを取ったと言えるだろう。
ちなみに、記憶によるとだが受験者は88人研修合格者は33人正規合格者が11人の44人がプロ入りした。

私の面接官は、伊藤優孝さんだった。

面接のとき、「猿川は実技もよくないが…筆記もよくないな。」と言われたのを覚えている。

プロテストの合格基準があがったときなら落ちていただろう。
20数年前ぐらいはこんな感じである。
まだ、モンドTVもなくサークルと言われてもしょうがない頃だった。
ただ、大先輩の話を聞くと

リーグ戦で毎月2万払ってた。会を運営するためだからしょうがない。
当時の2万はきつかった。

との話もある。私も最近20年目を越えてやっと若手から中堅に変わってきたが。

先輩たちのおかげで、私も生活できてるし、後輩たちもチャンスをもらえてる。
そのことは、連盟員なら(いいか悪いかではなく)伝えて欲しい文化であるし。知っておいて欲しい。

話を戻すと私と藤島さんは半年の研修後にC3リーグスタートとなった。

リーグ戦後に藤島さんとは数回、食事にいったことはあるが、内容は覚えていないので大した話はしてなかったと思う。

ちなみに私のデビュー1期の成績は2位で昇級。

当時は、常に上位対戦で

1節から5節まで、首位山田ヒロ(現在は山田浩之)2位私、3位藤島健二郎だった気がする。
嘘だ、藤島さんは4節同卓してないが、5位からあがって3位昇級した覚えがある。
よって、2節から5節までヒロさんと同卓してた気がする。

はたから見れば、よく食いついてると思われていたと思うが、当の本人は、

この人本当強いな。どうしても捲れない。
どうすれば勝てるんだ。と自問自答していた。

勝手にこの人とは生涯ライバルになるな。

と思っていた。

私が師匠以外で初めて、麻雀の質問をしたのが藤島さんだった。

多分プロ1年目以内だと思う。

質問の内容は今でも覚えているが、

「ヤオチュー牌でドラがトイツであとはバラバラの時ってどうする?」

藤島さんの答えは、

「とりあえず目一杯にする」だったと思う。

今では、会えば世間話するし仲良さそうな17期生だが、

どちらかと言えば仲は悪かった。

というか、全員自分が1番強いと信じて疑ってなかったので、仲良くなる要素もなかった。

プロテストを受ける前から、ヒロさんと勝又さんとかは知り合いだったので、その通りとは言えないが。

あくまでイメージだが、10年以上続けたぐらいから、同期の人と話をするようになった。

当時は上の人しか見てなかったので、同期になんかは興味がない。

私も、プロテスト受けるとき、

前原さんには勝てないかも知れないが、藤原さんには勝てる。

と思って受験したものだ。

ただ10年以上続けると、麻雀界が少し発展してメディアも増えたからかも知れないが、

そこで初めて話する同期とかも増えてきた。

少し、話が脱線するが私は常々思っていることがある。

若手の伸びが悪いのは、最近は誰かに憧れて入ってくる人が多い。
憧れるのは勝手だが、この人に勝つにはこうすればいいという、気持ちで入って欲しいと思う。
我々は、損しかない世界に飛び込んだ。たまたま、好転して今では良かったなと思える。
今の若手で、損しかない世界に飛び込める人が何人いるだろうか?
損しかない世界に飛び込むことは馬鹿である。
しかし、馬鹿であるほど、自分の実力を試したいと思うし、絶対的な自信はあった。
私が、古い人間だからかも知れないが、ハングリー精神が足りない。と感じる。

華のない17期の強さはこのあたりにあると思う。

えっーと。話を戻すと、その数年後にリーグも違ったこともあり、疎遠になった。

まあ、連盟内やプライベートでも色々あったとか

めんどくさい話があったり、なかったりという感じで特に理由もないままそうなった。

久しぶりに話したのは、藤島さんが立会人や解説を始めてからだと思う。

その頃から、藤島人気を感じた。

最近では、バスロー部という1人しかいない部活動をしているみたいだ。

1人しかいないから当然部長だ。
部員はプロじゃなくているのか?

まあ、なんにせよ。

控えめで弄られキャラだが、ファンが増えたのはいいことだと思う。

バスロー部のライバルは、襟川さんが部長のちくわ部みたいだ。

まあ、

なんにせよ広報活動というのはプロにとって必要不可欠な活動なのでいいことだと思う。

誌面や映像しかなかった時代とは違い、SNSの影響が非常に大きくなっている。

雀力が必要条件だとすれば、セルフプロデュースが十分条件にあたるのでは、ないだろうか。

一昨年、去年とSRCinLookupを開催した。
一昨年は、赤字だ。
去年は、成功だったと思う。
その影の立役者は、藤島さんだった。

本当に感謝している。

静岡リーグに出ていたこともあるが、すごく協力していただいた。

今年は、予想以上にコロナの収束が見えないので開催は見送った。

藤島さんはとにかく、真面目で優しい。

仮に偽善者だとしても、ここまで出来るのはたいしたものだ。

そんな、最近の藤島さんと会ったときに必ず聞くことがある。

本人は、そのネタはまだ時期尚早だという感じだったが、最近のTwitterの絡みかたをみてると書けという主張に見えたので、書かせてもらう。

「○○さんに最近怒られた?」

である。
たまたま、私がいる場面で怒られるのを見て、その翌日、石田がたまたま藤島さんがその先輩に怒られてるのをみたのがきっかけである。

まあ、叱るということはそれだけ期待されてると言うことで、いいんじゃないかな。

このノートを見ると、

kno先輩(仮名)が、

「藤島、おれに怒られてること誰かに言っているのか?」

とまた怒られるので、広まらないことを祈る(笑)。

話は、更に戻って、

B1に落ちた私は、17期の中でも落ちこぼれの部類に入った。

ただ、私も現役をあと18年はやるつもりだ。

落ちこぼれに落ちてもあがればいいだけだ。

そこに、

根拠も仮定もいらない。
欲しいのは結果だけだ。

ハングリー精神では負けない。

藤島さんが、成長するならそれ以上に成長するだけだ。

人生の半分以上費やしたプロ活動。

このまま終わるシナリオはない。















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