居酒屋会議
ドン、と肘でグラスを突いてしまった。
並々と注がれていたワインは振り子のように大きく波立ち、底に敷かれていた白いナプキンをべちゃりと汚した。赤い染みがあっという間に広がっていく。先まで浸されたのを浅い息を漏らしながら眺めていると、右隣りからおしぼりが差し出された。
「……ありがとう」
笑みを浮かべ、端の方を摘まんで受け取った。おしぼりがナプキンの上に垂れて落ちる。
「どういたしまして」
アンナはにっこりと微笑んだ。シャットダウンしていた周りの喧騒がボリュームを上げて再び耳に入り込んでくる。パーテーションで区切られた狭い通路で器用に立ち回っている黒い作務衣を纏った店員たちが「いらっしゃいませぇ!」と体育会系サークル並みの声をしきりに張り上げていた。華の金曜日なんて彼らからしてみれば毎週が十三日の金曜日だろう。
「でさぁ、マキトったら、その子とサシで飲みに行ったらしいのよ。まじでありえなくない? 普通さ、好意持たれている女子と飲みにいかないでしょ!」
真向いでビールジョッキが力任せに置かれる。取っ手を握りしめたレイミの手と顔はオレンジ色の照明を浴びているとはいえ茹でダコのように赤くなっていた。グラスの表面がまた揺れたが、殆ど空になってしまった液体はもう零れることはない。
「確かにねー、それはやばいわぁ」
アキが眉間にしわを寄せ、口の中に卵焼きを放り込んだ。さっきからテーブルの上に運ばれてくるおつまみをハイスピードで処理している。バイト終わりでお腹が空いていたのだろう。代わりにコークハイはほとんど減っていなかった。
「でも、マキトくん優男だから断れなかったんじゃない?」
「まあ、それもあるかもだけどさあ」
煮え切らない返答をしながらまたビールを口元に運んだ。グビリ、と白い喉元が上下する。
「ねえ、モモカはどう思う?」
アキが急に話を振ってきた。「そうねえ」と相槌を打って、真っ赤に染まったおしぼりを空になったから揚げの皿に投げ入れた。本当のことは言えそうになく「アキに同意かな」と頷いた。
「そっかー、2人が言うならそうなのかなあ」
レイミがテーブルに頬杖を付く。宙を見上げる大きな瞳は酔いのせいか虚ろだった。私は少しだけ残っていたワインを手に取り、最後の一滴まで飲み干した。レイミとはサークルだけでなく中学からの付き合いであったが、正直少しも可哀想だとは思わなかった。彼女が彼氏に対する憎しみ以上に愛情があるなら別に良い。そう、なぜが妙に達観していた。
誰にも気づかれないよう、座った椅子の方へ視線を落とした。ピンク色のごちゃついたカバーを付けたスマートフォンが置かれている。もちろん私のものではない。
一瞬、真っ黒な画面に話題の男の名前が表示された。けれどすぐに、消えた。
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