22年前の記憶

今をくだること22年、1996年11月のこと。
コンサドーレのチーム創設年の終わり、私は今は無き(昔の)国立競技場にいた。
浦和レッズ対鹿島アントラーズ。
この試合に勝つか負けるかで、優勝争いに残れるか否かが決まるという試合。

私は浦和を「福田がいるチームだから」ここを応援しようとJ開幕の前の年に安易に決めていた。
JSLから実業団チームとして歴史もあるチームだったし。
そして開幕してから見る試合の応援に「こりゃすごい」って圧倒もされた。
ただ、応援しはじめたチームがまさかこんなに弱いとは夢にも思ってなかった。

古いファンはよく覚えていると思うけど、Jリーグが出来て最初の2年は浦和は「弱小お荷物クラブ」だった。
華やかなりしJリーグ開幕の年に絶望的に弱さを晒した。
次の年もだいたい同様。本当にびっくりするぐらい弱かった。

そんな弱かったレッズが次の年に監督にオジェックを招いて、ブッフバルトを呼んで、そこから潮目が変わって。翌年は優勝を夢見られるぐらいまでなってた。
それが1996年、私は浦和を応援しつつも、地元にクラブが出来たからということで並行して2つのチームを応援していた頃の話。
最初10で始まったJのチームを見て、おらが町にもJリーグをってんで各地にチームが増え始めた頃だったので、こうした兼業ファンも少なくなかった時代だった。

話は冒頭に戻る。
その鹿島との大一番の国立ナイターで、浦和はPK戦の末に敗れて優勝の夢が潰えてしまった。
そのあと混ぜてもらった浦和サポの宴会で、みんな途中から一斉に泣き出した事をよく覚えている。

鹿島がちゃんと強かったこと。
浦和に力がなかったこと。
弱小と呼ばれたチームがタイトルを目の前にして、その夢が叶わなかったこと。
今年12月1日の最終戦を終えたあとに、22年前のその時の記憶が唐突に甦った。

最終戦に勝てばACL、という過去経験のない高揚感に包まれている周囲とは裏腹に、自分も盛り上がりながらもどこか乗り切れないでいたのはこの記憶のせいだったのかな、と今は思う。
「弱かったチームが強くなるって、そんな簡単な事じゃなかったの貴方見ていたでしょう?」
昔の自分がドヤ顔で仁王立ちしてる。

と同時にこうも考えていた。
上位のクラブは然るべき準備をしてシーズンに向かっているはずだ。
鹿島や浦和ほどの準備を自分たちは絶対にしていない。
最初から優勝なんて視野になかったクラブとは、どこかで差が生まれてくるんじゃないか と。

そしてシーズンが終わったあと、Sportivaに載っていた大伍のインタビューの中にあった一言を見て改めて納得した。

「やっぱり、勝つというのは準備の質が高いということなので。練習の本気度だとか、そういうものがあるんじゃないですか」

最初から優勝を狙っていれば、ACLを狙っていれば、最後の最後足りたのかもしれない。
けれどそんな意見は多くの札幌サポーターにとっては、今年の春の準備時点で机上の空論にすら及ばないものだった。と思う。

壮大では凡そない、ただ毎回J1に残留したい、定着したいという夢を昇格するたびに木っ端微塵にされてきた記憶を上書きするのは並大抵じゃない。並大抵じゃなかった。
ただしく経験を積まない限り消すことの出来ない惨敗の記憶。
J2でいくら勝っても消せない記憶。

その記憶を次の目標に向けて、決して無理やりでなくただしく時間をかけて上書きしたのがこの2年間だったように思ってる。それは天皇杯の準決勝で鹿島が敗れて、僅かに残っていたACLの可能性が完全になくなったときに強くなった。
行くんなら自力がいい。自力で行けるチームになりたい。

しかしまた、何しろサッカーというスポーツは、況や人間のやることは思惑通りに進まない。
これを書いている時点で5年間活躍してくれたエースがチームを去ることが決まった。いきなり「ええ…」って展開。それで来年の目標を下げるかといったら、少なくとも自分の知っているサポ友達は目を血走らせてこう言うだろう
「NO!!!!」
そう こんな太字レベルで。

残留争いになったらなったでそれでも生き抜く覚悟を持って。
新しい時代を作っていく気持ちで。
準備の質の高さは自分達で用意できずとも意識は「脱・弱小クラブ」ぐらい階段あげる。

お荷物と呼ばれた過去を持つチームが、その後一度は降格もしながら、今はすっかり国内有数の強豪クラブ、タイトルホルダーに成長してる。
今10歳以下の子供たちは浦和がとても弱かった時代を知らない。
10年後、札幌のとても弱い時代を知らない子供たちがいる未来があったっていいはずだ。

22年前の記憶は12月1日の自分を高揚させなかった代わりに、新しいシーズンに向かう自分を違う意味で高揚させている。

#北海道コンサドーレ札幌

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