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ONA19 日記 #6

家に着いて家族と挨拶を交わし、日が暮れるまでいくらも時間がなかったけど息子と公園に行き、帰りの鐘がなるまで遊んだ。Home sweet home.

以下は帰りの飛行機で読んだ本。

中国の辺境(これは広義の辺境である)に行ってその言葉を聞き取ってくるルポ。ハイライトのなかから一部だけ抜粋する。とてもおもしろい本なので広く薦めたい。

まずは内モンゴル自治区。

「あくまでも僕の感覚ですが、中国の少数民族のなかで 満 族(満洲人)とモンゴル族って、他の少数民族とはちょっと違う感じがするんですよね」 「面白い。どう違いますか?」 「なんというか、自分たちの民族への帰属意識は持っているけれど、中国国家の主役としての自己認識も持っている印象があるんですよ。『中国は漢人と満洲人とモンゴル人が作った国だ』みたいな感じの」
 バヤンさんが「なるほど」とニヤッと笑った。 「確かにそうです。だって、もしもチンギス・ハーンがいなかったり、 元朝や清朝がなかったりしたら、中国はこんなに大きくて強い国にはなれていないでしょう? 漢人たちはもっとモンゴル人に感謝してほしいものです」

次にカナダ。

「ともかく日本の普通の人は、市民運動家と歴史修正主義者のどっちでもないんです。私もそうです」 「じゃあ、あなたは日中戦争や南京大虐殺をどう思うのですか?」
  ジョセフが尋ねた。いつの間にか、取材者と取材対象者が逆転している。 「日中戦争は侵略行為だと思いますよ。人数はさておき、南京で民間人や捕虜が多数殺害されたのも確かでしょう。しかし、日本政府は過去の歴史を認めており、公教育でもそれを教えています。中国や韓国の人の心情はともかく、少なくとも日本はすでに謝罪のメッセージを何度も出しています」 「そういう意見を話す日本人に会うのは初めてです」 「いや、主要な新聞やテレビ局の記者も、大手出版社の編集者も、大学の人文系の先生たちも、日本で知的職業に従事する人たちの個人としての考えは、多くがそのくらいの立ち位置だと思いますよ」 「そんなはずはない。なにより、あなたはどう見ても一般的な日本人ではないですよ」
  ジョセフが笑った。私の話がウソではないと信じてもらうのが、こんなに難しいとは。

そしてカンボジア。ね? 「さいはて」の意味が広いのがわかりますでしょう。自分はこれが一番恐ろしかった。

「中国のポル・ポト支援なんて過去の歴史だろ? カンボジア人もそんなことは気にしていない。俺たちは意識したこともないよ」
  S 21 の近所にあるお好み焼き屋で取材した中国人ビジネスマンは、近年の中国のカンボジアへの影響力の拡大を誇らしげに語った後で、屈託のない口調でそう言い切った。
  ポル・ポト時代やその後の内戦の影響でホワイトカラー向きの人材が不足しているカンボジアにおいて、中国・韓国・日本などの外資系企業は管理職に中国人を登用し、あちこちのオフィスや工場では中国人上司がカンボジア人を管理するようになっている。
  本当にカンボジア人は「過去を気にしていない」のか。複雑な気持ちになる話である。

次の韓国の政治についての本。「他はいいから、まずはこれを読め!」という勢いでお薦めされていたものだが、偽りなしの内容。自分の業界の話になるが、こういう状況だからNAVERはトップページからニュースを外したのかあ、などと以前より感がる材料が増えて楽しい。

この本、冒頭がまずいい。引き込まれる。

 ふと、ある体験が脳裏をよぎった。
 それは、前年、二〇一七年の秋、駐在するソウルに東京出張から戻った晩だった。 金 浦 空港の入国管理カウンターで、五〇代半ばとおぼしき男性の入管職員が、私が差し出したパスポートに、入国スタンプを押そうとしないのだ。取材ビザが貼られたページに目を落としたあと、彼は低い声で呟いた。
 「戦争が、おそらく起きますよ」

全体の流れがあるので一部抜粋してもわかりやすくならいが、自分のメモのための抜き書きをする。

 繰り返しになるが、朝鮮半島情勢は、「南南葛藤」による韓国での政権交代によって一気に動いたのだ。
  「戦争の脅威と理念対決が作ってきた特権と腐敗、反人権から抜け出し、わが社会を完全に国民の国へと復元できるようになった。私は、今日、この言葉を申し上げることができ、胸がいっぱいだ」。
 これは、文在寅が二〇一八年九月一九日、記者会見で述べたものだ。韓国国内ではなく、平壌で、だ。
  北朝鮮に行ってまで、「特権、腐敗、反人権」と露骨に韓国保守派を非難したのには耳を疑った。それは、大韓民国の大統領が、北朝鮮と手を取り合って、韓国の保守派をつぶしたと自賛したことに他ならない。

最後は日本。単行本が2012年に出て話題になったもの。そのときには読まずにしまったが、今に通じる内容を理由に人に薦められたところ、実におもしろかった。

なるほど、と私は曖昧に相槌を打った。共感や理解を覚えたからではない。言わんとしていることが、なんとなくわかりかけてきたからだ。それは、米田の次の言葉で、より明確になった。 「要するにですね」  そこで米田は一呼吸置くと、私を正面に見据えたうえで一気呵成にまくしたてた。 「我々は一種の階級闘争を闘っているんですよ。我々の主張は特権批判であり、そしてエリート批判なんです」

さて、ここからはまた日常だ。

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