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ONA19 日記 #1

台風15号の影響を考慮して早めに家を出たのと、搭乗機の到着が遅れたのとが相まって、2時間ほど空白の時間ができた。だからふと、ラウンジで日記のようなものを書きはじめてみる。今日はONA19に参加するため、成田からニューオーリンズに発つところ。

昨晩は、第53回造本装幀コンクールの表彰式が日比谷図書文化館地下一階の大ホールで行われ、『僕らのネクロマンシー』を制作したチーム一同で参加してきた。いただいたのは文部科学大臣賞。このタイミングで、新旧の文部科学大臣の名前がいやなかたちで話題になってしまったが、そのことで笑いこそスレ、ケチがつくような気分にはならなかった。賞の名前でなく、実質的な1st placeだということが嬉しかったし、今回の本の制作に関わったメンバーが、出版後に一同に介する機会を得られたのがなんとも嬉しかった。

いただいた講評の一部を、記録として抜粋しておく。

みずみずしい表紙の写真に惹きつけられた。手に取ると、硬質なアクリル製のひんやりとした質感。表紙をめくると次は紙のコデックス装となっていて、写真集かと思ったら、横組みの文芸作品だった……。意外性に満ちた本書だが、刷り部数とその後の本の売り方の展開に関するところまで、本の芸術性、可能性に挑戦しているように感じる。電子ではない、実感のある本のこれからについて、ひとつの道筋を提示した。(中江 有里)
製本方法も組み方向もボリュームも異なる『遠野物語』の版面をそのまま流用することにはあまり美的な意味は見出せなかった。しかし、作品だけでなく、配布を含めた出版コンセプトまでが『遠野物語』に深く依拠する姿勢を示すことにおいて、現代には存在しないクラシックな版面を非常に現代的な質感の表紙と対比させた効果は大きいと言えそうだ。手に取った者に忘れ得ない時空的な浮遊感を遺すことに成功している。(秋山 伸)

この賞は、基本的に、プロダクトとしての本の製作者を表彰するねらいがあり、著者が言及されることはほとんどない。だけど今回の『僕らのネクロマンシー』の造本・装幀は、小説の内容に端を発する必然性があってこうなっている。だから本の外側を褒められるのは本の内容を褒められるのとほとんど同じ意味であり、それが著者として嬉しく感じるところだった。

そういえば、いまから1年10ヶ月くらい前、サンフランシスコの出張の帰りに飛行機の中で原稿の直しをしていたんだった。そんなことを思い出した。

ところで成田の混乱はほとんど収まっているように見えるが、混乱のあとの塵のようなものが空気中に漂っている、そんな感じがする。やけにテンション高く先日の苦労話をするタクシーの運転手、疲労や緊張が残った顔の空港職員、などなど。

どうでもいいけど、ワークマンのポケッタブルパーカーは旅行用にすごくいい。先日、遠野に帰省したときに買ってきたのが、エアコンのきつい空港内で早速役に立っている。株価がぐんぐんあがっているというニュースに実感が伴った。

あとこれはどうでもよくない部類だが、Daichiさんの記事「ルポ・成田空港】「なんとなく」「とりあえず」で人はきっと死ぬ。成田空港が教えてくれたこと」を電車で読んでいたら、夢中になりすぎて降り過ごし、非常に非効率なルートで成田空港にたどり着くことになった。二次被害を呼ぶ魔力がある記事だった。

(十数時間を経てホテルに到着)

同じ飛行機に、お世話になっている取引先の方がいらして、うれしい気持ちになった。ONAという素敵なイベントがあるんですよと伝えたら、本当に来てくださった。道中、「コンピューターに生命は作れるか? / 人工生命国際学会「ALIFE2018」リポート」の話をするなどした。

機内では、人に薦められて買っておいたものの読むのを忘れていた本にとりかかった。感想をメモしておく。

発達障害の本は数多くあるが、これは知的障害にフォーカスした本。「コグトレ」についてあとで調べてみよう。

「イシューセリング」のテクニックを研究していく内容。ためになる部分がいくつもあったが、印象に残った警句をひとつだけ引用してみる。

強烈な感情が、行動を促す感動的な訴えへと姿を変えることもある。とはいえ感情をコントロールできなければ、その人の影響力が損なわれる可能性のほうが高い。意思決定者は、意見を上げてくる部下にネガティブな感情があることを察知すると、その部下を「変化を起こす人」ではなく「愚痴を言う人」と見なす傾向があるのだ。

トヨタの「主査」というポジション・仕組みが気になって読んだのだが、学ぶべきところが多く、読んでよかった。けれど、読後にAmazonのレビューを確認してみるとなかなか辛辣なことが書かれてある。確かに冗長なところはあるし、必要以上に他社をこきおろす書きっぷりなどが、そうしたレビューを呼び込んでしまうんだろうか。まあいいや。

古い意味でのプロダクト・マネージャーとトヨタの主査が異なる点は、販売やプロモーションにまで主査の責任が及ぶところである

プロダクトマネージャー = PMといっても、会社によって期待される役割がずいぶんと違うのだが、これはそれを正確に捉えた書き方だと思う。自分の経験の範囲でいえば、LINEでいうPMは販売やプロモーションまで責任をもつが、SmartNewsでいうPMはそうではない(その一方で、技術的な部分での責任はLINEのそれより大きい)、みたいなことがある。ただしそれは上に引用されているような「古い意味」というわけではなく、それぞれの事情がある。そしてそれがなぜかというと……というように我が事に引きつけて読んでいくことと得るものがある。あとで数えたら53箇所もハイライトしていた。

2007年に刊行された本の新版。2010年以降劇的に進んだという最新のゲノム解析の結果が反映された内容で、驚くほど詳しくアフリカを出た後の人類の足跡がまとめられている。なぜそれが大事かというと……あとがきから抜粋するほうが早いか。

その成果は、考古学や歴史学、言語学にとどまらず、人間とは何かという哲学的な問題を扱う際にも大きな影響を与えるものとなっています。近年の自然科学の研究で、人文社会科学の広範な領域にここまで大きな影響を与えている分野はないでしょう。ゲノム解析は自然科学と人文・社会科学の壁を取り去ったのです。

つまり、2010年より前の人文・社会科学の本のなかには、自然科学が及んでいなかった領域だという甘えも相当あると思うんだけど、現在では間違いだとされている説をもって空想の羽を広げているような本がたくさんある。そういうものに対して、ちゃんとアップデートをかけていきたいと、そういう気持ちがある。著者も、遠回しに熟考を促す記述を残していた。

そうなると私たちの起源の物語は、その大部分が揚子江の周辺や朝鮮半島で展開することになります。これには違和感を覚える人も多いと思いますが、ヨーロッパ人の成立をゲノムで追求する論文などを読むと、在来の狩猟採集民ではなく、後に進出した農耕民を主体として記述が行われていることに気がつきます。結果的に狩猟採集民は数で圧倒されてしまうので、主体を多数派に置いた記載はむしろ当然なのでしょう。私たちが日本人の成り立ちを考えるときに、このような考え方をしないのはなぜなのか、古代と言えば縄文時代を真っ先に思い出し、私たちは弥生時代以降に入ってきた人たちの子孫です、と言われたときの残念な気持ちを持つ人が多いことが何に由来するのか、改めて考えてみても面白いかもしれません。 

自分もそういう本が好きでよく読むからこそ、最新の研究がどこまで進んでいるかはちゃんと追っておきたい。そういうのにぴったりな本だった。

その他、『リーダーシップからフォロワーシップへ』をつまみ読みして、疲れてきたので最後は映画を観た。スタンド・バイ・ミー。
最初に観たのは主人公たちと同じ12歳のときで、前に観たのは二十代の頃だったかな。いまは自分の息子のほうが主人公たちの年齢に近く、かつ、38歳になったゴーディとほぼ同じ年齢でひとつうえ。そうなると、以前とは想像もしなかったような切ない気持ちで見返すことになった。まあいいや。シンボル操作・表現的には、「線路(レール)」がうまく使われているんだなと、そんな気付きがあった。

さて、現在まだ9月11日の15時。
時差の関係で一日目がとにかく長い。


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