見出し画像

潜在意識の声を聴く人々

『潜在意識の声を聴く人々』
アクリル絵具、布
2000×1,000
2020年6月
「佐々木めばえ展 生命の森」展示中

"People perceving the subliminal voices"
Acrylic on Fabric
2,000 × 1,000
June, 2020
Exhibiting in a solo exhibition "The forest of life"

生命の森_theforestoflife_潜在意識の声を聴く人々

〇オンライン個展〇
展示中の作品を投稿していきます!
同時に今まで書いてきた日記やメモを照らし合わせることで、どうしてこの作品が生まれて来たのか、なんのために創ろうと思ったのかを整理していきたいと思っています。絵は私にとって思考の過程そのものであり、私が世界に在ってほしいと望む姿です。蓄積してきたものを一旦できる限りで統合して、そこから新しい思考を生むためのフレームワークを作りたいと思っています☺️今の段階でひとつはっきり言えるのは、私は「分断の向こう側で愛を見たい」と思っているということ。
この宇宙と人間をもっと知りたくて愛したいから、未來に出会う自分の子どもが希望を持てるような世界にしたいから、既存の概念からどうやって新しい概念を立ち上がらせることができるだろうか・・という感じです。こういう時間や環境があることにありがとう🌎🌱

―2020年4月16日の日記より

ーーーーーーーーーーーーーーー
川が流れて海へとたどり着く。
ひとつひとつの水滴が集まる海も、樹がすべて繋がっている地下の根も、地球の知性が集まる場所。ひとつの場所に留まるのではなく、滞らずにまわるよう、循環するために分化できるようになっている。人間も同じで、肉体レベルで見るとひとりひとりは分離しているけど、目に見えない深い深い領域では樹のようにいのちがすべて繋がっているところがある。意識で言うなら、ユングの提唱した集合的無意識が近いかもしれない。無意識の想念が流れる、人のエネルギーの集まる海のような場所。本当は皆、そこにアクセスすることが可能なんだけれど、今の社会の中では反対側のベクトルで生きることを知らず知らずのうちに学んでしまうような構造になっている。その中にいると、人はいつしかそのものになる。
その目に見えない”海に”、目に見えない樹の根に、日常的にアクセスできるようになる村を創りたい。最終的には日常の中で概念を暮らしの中に落とし込んでいきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーー

この日記を書き写していて、パトリシオ・グスマン監督の『真珠のボタン』(2015)という映画を5月18日に見たのを思い出しました。映画を見た時は気が付かなかったけど、今振り返ると4月の日記と関連の深いことが語られています。

◎下記、映画『真珠のボタン』(2015)から引用

「私たちは誰もが同じ水から生まれた川だ」
「水が運ばれるときは宇宙が介在している」
「水は惑星のエネルギーを受け取って、大地と全ての生き物に伝えるのだ」
「水は星と私たちを繋ぐ役目を果たしている」
「水は音楽の源、人間の思考の原理は水と同じだ」
「すでに知っているものを取り戻すためだ。人間が本質的に知っていて懐かしく思うものをね」
「神も警察も言語には存在しない」

―2020年4月17日の日記より

ーーーーーーーーーーーーー
断片的な記憶や小さな思考の種が、小惑星のように、自分の中の宇宙に漂っている。突如、ある思考のエネルギーがその自分の中の宇宙で生まれて、ベクトルを持って動き出す。どんな小惑星に途中でぶつかることになるのか、そのエネルギー自体も知らない。進んでいく途中で、突然意図せず衝突する。それを何回も繰り返し、過去の体験と思考が結びついていく。気が付いた時には星座のように惑星と惑星が繋がり、新しい思考のエネルギーが生まれたことによって、断片的な記憶に意味がもたらされていく。時空を超えて生まれる星座が、私の人生を肯定し、役割を浮かび上がらせる。その星座を見つめることが、高次元からのメッセージを受け取ることに直結している。
ーーーーーーーーーーーーー

―2020年4月19日の日記より

ーーーーーーーーーーーーー
役割が果たされるために出会いが用意されている時、その”役割”に関係するすべての人が幸せを感じられるようになっている。そして、そのタイミングをそれぞれが見逃さないように”愛”という引力を生じさせ、互いに引かれ合うようにすることで、パズルのピースがはまるようになっている。パズルのピースには、磁石が埋め込まれている。その磁石がどう作用するのかを、出会うべき人に出会うまで私たちは知らない。そしてその出会いは一つじゃない、役割は一つじゃない。直感と愛によって指し示されている。
ーーーーーーーーーーーーー

レイチェル・ドレッツィン監督の映画『いろとりどりの親子(2017)』(原作『Far from the tree』:アンドリュー・ソロモン)の中で、アンドリュー・ソロモンの印象的な言葉があります。

「治療するべきことと祝福するべきことの境目はどこにあるのか?」”How we decide what to treat and what to celebrate?”ーアンドリュー・ソロモン

***

ここまで書いてみて思ったのは、私はたぶん、「人間が皆オリジナルなのはなぜ?」「そこに宇宙はどう介在している?」「人の固有性と創造を中心に据えた、自然の原理を基盤にした新しい文明を、どうつくっていける?」の答えを探しているのだと思う。いつもながら思考が抽象的でてテーマが広いけれど、自分の軸はそこにあると思う。
それは、農業革命・産業革命・情報革命を終えた地球で24年間生きて来た中で、人の固有性が大きな力によって失われていく場面を何度となく目にしてきて、それが痛い、怖いと思っていたからだと思う。
痛みは生かしたい何かがあるときに神経が反応するものだから、きっと私の心は人の欠陥や違い、オリジナリティを、ちゃんと生かしたいと思っているのだと思う。それが失われてしまったら、機能しなくなるものがあることをどこかで知っている気がするんだ。

もし、水が運ばれるときのように人と人との出会いにも宇宙が介在していて、人生の中で役割を果たすことが用意されていて、そのために私の欠陥があるのなら、それこそが、愛を経験するために必要なものなのではないでしょうか―


2020年11月6日 佐々木めばえ