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わたしたちには毒とファンタジーが必要だ

――わたしたちには毒とファンタジーが必要だ

そう聞くと、何と言うかSFチックなものを想像してしまいがちだけれども、これは極めてリアルな意味合いで、わたしたちには毒とファンタジーが必要だ。

この間、友人が「必要毒論を発見した」と言うので話を詳しく聞いてみた。一般に毒(悪)とされる人間のブラックな感情は生きるために一定程度必要なのではないかというのが「必要毒論」の概要らしい。例えば、他人の憎しみや怒りという“汚い”感情に触れることで「あぁこの人もそういう感情を抱くんだ」「私だけじゃないんだ」と思え、結果的に安心したり、癒されたりするのだという。

(※追記:本人に確認をとったところ、「表では毒を避けるように生きてるつもりでも、どこかしら毒=死に近づくモノを求めているのではないか。だからこそダークな感情を晒されているのをみると、自分の中のその部分が共鳴して癒しに繋がる」という解釈が正しいようですが、受け取り方はそれぞれで良いよと言ってもらえたので、上記のように書かせてもらいました。Tさん、ありがとう。)

「必要毒論」の話を聞いたわたしは深く賛同した。というのも、わたし自身これに似た考え方に助けられたからである。高校生の頃、ひどい憂鬱が続くので一度精神科にかかったことがあった。その頃のわたしはとかく社会が憎くて、好きな人も嫌いな人も「みんな死ねばいいのに」と半ば本気で思っていた。何がそんなに憎かったのかわからないのだが、とかく自分も含めたみんなが死ねばいいと思っていて、本気でそう思っている自分が怖かったのだ。悶々と、かつ鬱屈とした毎日に嫌気がさして、ある日突然、理由もなく誰かを殺めてしまったらどうしよう。そんな風にも思った。それで、母に頼み込んで精神科に連れて行ってもらったのだ。

診察室に入るなり、わたしは「みんな死ねばいいと思うんです! そんな風に思ってしまう私は頭がおかしいんでしょうか」と堰を切ったように話した。ひとしきり話を聞いてくれた後で、先生は穏やかにこう言った。

「ののかさんは映画などを見ますか?サスペンスや何かには嫉妬や殺意など、一般に“汚い”感情が描き出されていますよね。それでも評価されるし、少なくともその映画を見て『なぜこの感情を抱くのか』を理解できない人はいないはずです。つまり、誰しもそういう感情を抱いたことがあるということなんです。もちろん人を実際に傷つけるようなことはあってはなりませんけど、みんな言わないだけで、誰もが“汚い”感情を持ち合わせているんですよ」

救われたと思った。わたしは、先生に何度も「ありがとうございます」と言いながら泣いた記憶がある。当時は自分だけが汚い人間なのではないかと思って不安だったのだ。何の疑問を感じずに、学生生活を楽しんでいるように見えるみんなもきっと悩んだり、人を妬んだり、憎んだりしているんだって思ったら、一人じゃないと思えた。わたしは先生が話してくれた、優しい“毒”に救われたのだった。

その原体験があったからこそ、わたしは、ものを書く人間の信条として、極力“毒”のあるものを書きたいと思ってきた。大げさに言えば、「“毒”こそ正義だ」と思ってきたのである。しかし、ある記事を書いてから、その信条は揺るぎ始めることなる。ある記事とは、「新橋のLINE晒し」だ。

簡単な概要としては、新橋のサラリーマンに突撃して、奥さんに「愛してる」とLINEで送ってもらい、そのお返事を「晒す」というもの。最終的にハートフルなお返事をGETすることができ、「やっぱり結婚っていいよね」と心温まる結末で幕を閉じた。

記事はものすごく反響があり、Facebookでは2.8万シェアなど、初めての「バズ」というものを体験させていただくことになる。(※このバズは9割9分、企画のツベルクリン良平さん、編集のカツセさんのお力です)鳴りやまないTwitterの通知には知らない人から「心があたたまった。ありがとう!」とリプライが入っていた。本当に、心の底から嬉しかった。しかし、一方でわたしはアッパーを喰らったような気持ちになっていた。バズったのが、わたしが正義だと思っていた“毒”とは対極にあるハートフルな記事だったから。

みんな疲れているのだ。満員電車に揺られて通勤し、理不尽な理由で上司に怒られる。お局にいびられたり、得意先に嫌味を言われたりしながら、残業までして家に帰っても、人のいない家は冷え切っていて、ご飯も食べずに寝てしまう。そんな殺伐とした日常に嫌気が差して、癒されたいと切実に願っていたのだろう。

そんな現代人の心に刺さったのが「LINE晒し」の記事だ。誤解を招かないように言っておくが、あの記事はフィクションではない。しかし、いつも通りの毎日を過ごしてはいては絶対に出会えない“ハートフル”を掘り起こしたところにあの企画のすごさがある。(何度も言うがわたしは書かせていただいただけなので、自画自賛しているわけではない)つまり現実に起こったことではあるが、日常生活では起こり得ない、いわば“ファンタジー”だったのだ。目をそむけたくなるリアルの中にあった“ファンタジー”に人々は癒され、感動したのだと考える。元々、人を癒したいという気持ちで、文章を書いていたわたしにとって衝撃ではあったが、新鮮でもあり、新たな視点がもらえた良い機会となった。

以降いただく案件には「ハートフルテイスト」なものが増え、影響を受けやすいわたしはしばらくの間、意識の上でもすっかり“良い人”になってしまった。「“毒”は正義」などと言っておきながら、あっさり寝返ったのである。

しかし、「LINE晒し」から3カ月経った今、わたしはどんどん苦しくなってきた。不器用なわたしは自分の中に“良い人”以外を飼ってはいけないような気がしてきたのだ。

――見た目も中身も“良い子”でいなければならない。

その意識はまるで高校の頃のわたしとほとんど同じように、わたしを追い詰めていった。誰に言われたわけでもない、“良い子”でいることへの強迫観念。床が浸水し、だんだんと隅に追いやられていくような息苦しささえ感じるようになっていた頃、友人が話してくれたのが「必要毒論」だった。

そうして話は冒頭に戻る。結論、わたしたちには毒とファンタジーの両方が必要だ。“毒”も“ファンタジー”も人を癒す。どちらか片方だけを摂りすぎてはいけない。どんな栄養もバランスと適量が肝要。さもなければ、ひどいときには死に、至る。

もの書きの端くれとして、「人を癒したい」とペンを執ったわたしの信条が1つ増えた。最後にもう一度言おう。

わたしたちには毒とファンタジーが必要だ。


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佐々木ののか

文筆家。メインテーマは「家族と性愛」コラムや小説のお仕事お待ちしてますmail:sasaki.nonoka@gmail.comTwitter:@sasakinonoka

コメント4件

共感しました。その当たり前って当たり前じゃなくてもよくない?って思えるようになってからずいぶん生きやすくなった気がします。人や自分を癒やす「毒」ってあると思います。
フレッシュさんありがとうございます!そうなんですよね、わたしの場合、強気に色々言っていながら未だに割り切れていない部分があるんですけれど......毒は醜いものだと思っていたんですけど、毒が人を癒すこともあるのだなと気づいたら、見せてみてもいいかなと思っている最近です。
藏さん、コメントをありがとうございます!そうですね、わたしも誰もが持っているものだと思うんですけど、自分だけが毒を持っているのではと思い込んでしまっている人が多い気がします(過去のわたし含め)。なので、自分の中の毒を見せることで、安心してもらいたいなって思って、ノートしてみました。長く書いてしまい、すみません。いつも読んでくださってありがとうございます^ ^!
ずっとハートがフルだと、いっぱいいっぱいで余裕なくなってきちゃいますね、たしかに。。。なんかこう、フラットな喜びとか優しさとかの、けれど、美しいけど無害なところは、当たらないんだろうなぁ。

毒にも色々種類があると思いました。劇薬が特効薬だったりするわけで、きっと、文章を生業にする人はそれを使って処方箋を書ける能力があるのでしょうね。ファンタジーが栄養剤だとしたら、毒は薬なのかなぁ。
よいお薬をいただきました。
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