わたし1人じゃtoo much

26歳になった。一般的には26歳と言えばそろそろ結婚を意識し始める年齢だと思う。現に、わたしの周りでも結婚し始めている人は増えてきたし、Facebookを開けば婚約指輪、婚姻届を持っての「結婚しました報告」がかなりの頻度でフィードされる。人生の中でも指折りの最高のときに「いいね」しないのは、何となく”人でなし”な感じがするので「結婚報告だ」と思ったら内容もよく読まずに脊髄反射、光の速さで「いいね」しよう、と心に決めている。(そのあたりで既に”人でなし”感がある)しかし、実際のところはそこまで「いいね」と思っていない。羨ましくて嫉妬しているからではない。いや、「この女、他人の結婚も素直に祝えないとんでもない性悪だ」と思っていただいても問題ないのだが(そうかもしれないし)、やっぱり結婚にあまり興味がわかないのだ。

この理由は前述の「もっとファジーに愛させて」を読んでくだされば何となく伝わる部分があるかなと思うのだが、要するに、今好きな人たちをたった一人の「一生一緒にいる人」として方向づけるのが窮屈というか”気分じゃない”というのが近い感覚かもしれない。

しかし、いくら「結婚も恋愛も好きなようにしたらいい」という自由度高めな日本にいても、やはりベーシックな考え方をする方は多くて(ベーシックなんだから、大多数なのは当然か)色々な方から心配されることもけっこうある。

うちの親こそ「仕事でも恋愛でも好きなようにしたらいい」と言ってくれるが、世間一般の方からすると「26歳フリーライター2年目、編集経験ほぼなし、家は風呂なし築60年」のわたしがとても不憫に見えるようで、顔を合わせる度に「稼げているのか」「今、どんな仕事を受けているのか」「結婚して家庭に入るのも手だぞ」という論法で結婚を勧めてくる。

おそらくわたしの将来を心配して色々とアドバイスをくれているのだなとは思うのだが、そもそもわたしはやりたいことがあるから今生きられているのであって、元々命や生き永らえることにそこまで関心がない。だから結婚の良さを教えてくれるならまた違うのかなとも思うが、”経済的な安定をはかるために結婚”というのがわたしの中でなかなか結びつかない。この世に興味が持てなくなったら、そのときはそのときだと思っている。興味が続くうちは家がなくなっても、残飯を漁ってでも生き延びるんだろうなとも思うけど。

もちろん「結婚っていいよ〜」と結婚の良さを教えてくれる人もいる。特にわたしは仕事でワーキングマザーや夫婦に取材させていただくことも多く、彼女たちの言うことはふんふんなるほどと思うし、特に子どもを産むというのは1つ大きなイベントらしい。うちの母親なんかも「あんたたちのおかげで、お母さんは役割を与えてもらって生きていられる」と幸せそうにしている。でも、本当に申し訳ないがうちの母親はどう考えても今でも手がかかりまくりな4人の子どもに囲まれて確実に制約を負っている。特に26歳の長女は未だに「得意先の⚪︎⚪︎さんに送ったメールの返事がだいぶそっけなかったんだけど、わたしは何か気を悪くするようなことを言ってしまっただろうか、ねぇどう思う?」という類の電話をわざわざかけてくる。わたしだったら、そんな娘、面倒くさくて育児放棄してしまいそうだし、もはや26歳は”育児”しなければいけない年齢でもないし、と考えていくと、母は偉大だと結論に達すると同時にやっぱり結婚や子育てに魅力はないなと思ってしまう。

恋愛結婚でもお見合い結婚でもいいけど、ピッタリ来る相手を探すのはエネルギーがいるし、そのエネルギーを目先の原稿に注ぎ込みたいし、子どもが欲しいわけでもないから焦ることないし、と考えていくと、わたしにとって結婚は急務ではないのだ。

......と、いうようなことを淡々と説明して「だからわたしはまだ結婚はしなくていいかなと思うんですよね〜」とできる限りヘラヘラして言うと、「何を言っているんだ、こいつは」という雰囲気になってとっても気まずい。

しかし、そんなわたしでも”結婚ってちょっといいな”というか、すごくしっくりくる答えが1つだけあった。

答えをくれたのは、えとみほさんという方で、現在「snapmart」というスマホの写真販売サービスを立ち上げた方としても記憶に新しい。

わたしから見る、えとみほさんはものすごくパワフルで、ライターとしてのキャリアも長い大先輩ながら、わたしたちのような駆け出しライターたちにもフランクに接してくれる。飲み会で一度だけお目にかかったきりだが、その後もちょっとした折、わたしたちにSNS上でエールを送ってくれる愛に溢れた方で、わたしは率直に言って憧れている。

そんなえとみほさんが、わたしの書いたnote「生きてる意味がわからないから、カジュアルに死にたいの」にコメントをくれた。この記事の内容をザックリ説明すると、(まぁタイトルの通りなのだが、)「重い鬱でもなんでもないけど、何のために生きてるかわからないからお気軽に死にたいよね」という感じの記事だ。

わたしは興奮した。あの、えとみほさんがコメントをくれているのだ。嬉しくて、原稿をする手を休めて、すぐに見た覚えがある。そこには意外なコメントが書かれていた。

「だいぶ前に読んだ、今一生の『生きちゃってるし、死なないし』という本を思い出しました。自分も、カジュアルに死にたいっていうか消えたいっていう感覚は35歳くらいまでありましたね」

驚いた。どう見たってえとみほさんには陰りがない。人の弱い部分を汲み取れる優しさは感じていたが、眩しい彼女がわたしと同じように心を病んでいたのだとしたら、それはかえって希望だった。踏み込み過ぎかなと思いつつも、何が今の彼女たらしめているのかを聞かざるを得なかった。すがるような思いで、わたしはこう返した。

それに対する、えとみほさんのアンサーはこれだ。

「そうなのよー。実は元メンヘラで(笑)消えたい感覚がなくなったのは、たぶん『大人』になったのと(遅いよねw)いまの旦那さんに出会ったからです。自分のためだけに生きるには、我々の人生はtoo muchなんですよ、たぶん」

ー”too much”

乾いた土に水が染み渡るようだった。押し付けがましくもなく、自然体な言葉は無理に嚥下しようとしなくてもサラサラと身体の中に入っていくみたいだった。

わたしが自分の”生”に固執せず、時折「もう死んでもいいかな」と思うのは、一人で消費するには”too much”だからなのだ。

どんなに大好きな食べ物でも食べ過ぎたら飽きるし、「もういいかな」となる。人生もきっとそうで、1人の人間には2人以上で食べる用のコース料理が用意されているのだ。だから、1人で全てを食べようとすると、よほどの大食漢でない限り胸やけを起こすし、そもそも何でこんなに頑張って食べてるんだろうと箸を投げてリタイヤしたくなるかもしれない。

多分、人生は時間無制限のフードファイトなのだ。一緒に食べる相手がいると、話しながら楽しく食べられるし、フードファイト中におしゃべりに花が咲いて箸を休めても気が急かない気がする。臨戦態勢に入り、2人ともご飯をかきこむように食べるときがあったとしても、「この人も頑張ってるし」と思えるし、自分だけリタイヤしようなんて気にはそうそうならないはずだ。

焦って見つける必要はないと思う。でも、もしも良い人と巡り合えたら結婚も悪くないかもな、と思った。何か長生きできそうだな、とも。

そう言いながらもわたしは実生活ではほとんど食事を摂らず(再三言うが、お金がないわけではない)、”人生におけるフードファイト”ではとのすごい勢いでジャンクフードをかきこんでいる。あらゆる意味で生き絶えてしまいそうだが、もう少しこのスタイルで走り続けるつもりでいる。でも、やっぱり1人じゃ食べきれないから誰かと一緒に食べようかなと思ったりするようになったら楽しそうだなとも思う。先のことなんてわからないけどね、とりあえず今日もお箸を持って、Ready to Fight.

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