もっとファジーに愛させて

それが恋ではないかもしれないと知ったのはいつ頃だっただろうか。衝動的にわたしを突き動かしてきた感情は世間では好奇心と呼ぶらしい。全身全霊を注ぎ込んでも「知りたい」と思う物理的な心臓の高鳴りを少女漫画の恋愛になぞらえて解釈してきてしまったことに気づいた女の現在は、いきなり無重力空間に放り出されたようにほんの少し孤独で、限りなく自由だ。

「恋ってどんな気持ち?」なんて質問が許されるのは世間的には14歳くらいまでだと知っているので、26歳にもなって、ましてや散々に男性とお付き合いを重ねてきながら「恋ってどんな気持ち?」と聞くのはちょっとおこがましいというか滑稽にすら思えるけれど、本当によくわからなくなってきてしまった。

でも、正直な話、それが恋か恋でないかなんて、わたしにしてみればどちらでもいい。わたしは多分異性愛者だけど、相手が男性であろうと女性であろうと、そのとき自分が「好きだ」「一緒にいたい」「話したい」と思った人と一緒にいて、ふれあえることが幸せだし、それが恋なのか恋でないのかはどちらでもいいのだ。

しかし、世間的には結婚適齢期と言われる”年頃”のわたしのこと、最近は挨拶のように結婚の話題が上る。そうでなくても、「彼氏いるの?」はよく聞かれる話だし、「彼氏はいないけど」と言うと「好きな人はいるの?」と聞かれる。「好きというのがどういうのかわかんないけど、わたしは誰それのことを面白いと思ってるし、会ってる時間は居心地が良いです」というような返しをすると、「それって好きだよ!付き合ったらいいよ!」となる。わたしも話題に困ったときはそういう話をするし、特段その話題で気分を害すようなことはないけれど、関係性をはっきりさせることには少々窮屈な思いがする。

みんな、関係性に名前をつけたがりすぎなのだ。恋人、男友達、女友達、セフレ、愛人、くらいまではいいかもしれないけれど、最近出てきたソフレ(添い寝フレンド)やキスフレ(キスする友達)くらいまで段階をつけられると、一様にフレンドなんだし、ソフレもキスフレも「友達」でいいんじゃないかと思ってしまう。

それとも、(古い言い方で恐縮だが)「Aをした」「Bをした」とかの段階で分けておかなければ不安になるほど、わたしたちは自分の状況にわかりやすい名前がなくては生きていけないんだろうか。もちろん自分を客観的に捉える上で、わかりやすく説明する上で概念とかそれに付随する名前はあったほうが便利かもしれないけど、言葉で雁字搦めにされてフレキシブルに動けない状況に息が詰まったりは、しないんだろうか。

それから、「好き」を突き詰めると、必ず「付き合う」にひも付けられることに対しても、どうも違和感がある。好き「だから」付き合う、だけが正義なのではなく、好き「だけど」付き合わない、とか、あるいは「好き」と「付き合う」がもう少し縁遠くあってもいいと思うのだが、そのあたりの説明をしてもあんまり共感を得られないことが多い。

わたしにしてみたら、「好き?」って聞かれて「好き」と答えたら、「じゃあ”付き合う”っていう名前の一戸建てを建てましょうね。ローンは一緒に返していきましょう」と言われるくらい大仰な話に感じてしまうし、「好き」と言った瞬間から相手が「付き合う」という名前の一戸建てを建てやしないかとヒヤヒヤして、好きかもな思っていても、うっかり好きと言えない。それに「好き」かどうかを言葉で確認すること自体、味気ないというかナンセンスな気もする。(とは言え、わたしもよく聞いていたけど)

わたしが思うに「付き合う」というのは至極特別な関係性だ。結婚のように法律で定められているわけでも、家族のように血縁で結びついているわけでもない。友達のように明確な約束なしでは成立し得ないし(海外では成立するけど)、好きだからって絶対に付き合わなくてもいいのに、お互いに付き合いたいという意思と信頼だけを担保にする関係性の契約。まぁそんな風に面倒なことを考えて付き合っている人はあんまりいないかもしれないけど、そのくらい特別で尊い関係性だと思う。

ただし、付き合うことがただ一つの幸福なゴールとする考え方にはやや懐疑的で、多くの「付き合う」の始まりには終わりがあるし、何事にも関係性の終わりには衝撃を伴うので、極力ならば、わたしは好きだと思う人との関係をゆるいものに留めておきたい。

わたしが分析するに「付き合う」は「線の関係性」、それ以外の「両思い」は「点の関係性」だ。「付き合う」のは「今後、多少嫌なことがあっても、健やかなる日も病める日もあなたとの関係性を続けていきたいと思っていますよ」というお互いの意思表示であって、簡単に関係が解消できない分、絆が強くて、別れるときは続けた関係性の分だけ辛い思いを伴う。逆に”好きだけど付き合わない”「点の関係性」は、今後が約束されていない分、いつ会えなくなるかわからないが、明確な終わりもない。そこにはお互いに関係性を続けていこうという意思はなくて、”点”がミシン目みたいに一定で続いて、”線”のようになることもあれば、本当に”点''で終わってしまうこともある。ただし、最初から今後を期待していないから、会わなくなったときのショックも少ない。「未来の関係性」に対して、「現在の関係性」という言い方もできるかもしれない。

どっちがいいとか悪いとかではないけど、両者には明確な違いがあるのに、好き同士の間でそのコンセンサスが取れていない場合が多いような気がする。そもそも”点”の関係性などは、ほぼほぼ存在しないものとして考えられているから仕方がないのだけど。

そうして、わたしの個人的な話だ。わたしは多分、他の人よりも愛が深い人間だと思う。他の人が薄情だと言っているわけでは全くないが、男女問わず「好きだ」と思った人にはそれが恋愛感情か否かを別として、全身全霊を尽くして愛を表現したいし、伝えたいと思っている。だから全く罪の意識なく、すぐに「好きだ、好きだ」と言ってしまって、表現してしまって、とりわけ相手が異性の場合は例のごとく傷つけてしまうことも多々あった。だから、なるべく伝えるのを控えようと思って意識しているんだけど、なんといっても持てる愛に対して、愛の受け皿が小さすぎて漏れ出てしまう。そんなことが最近までのわたしの悩みだった。

しかし先日、久しぶりに「好き」な人の1人に会って、色々と話すうちに、やはりわたしはその人のことが好きだと思った。溢れ出る気持ちに蓋をしようにも、ゴンゴンと焚き付けられた鍋からは沸騰した湯のような「好き」が吹きこぼれる。しかし、付き合いたいとか「一戸建て式の関係性」を築くつもりは全くなかった。

でも、もう我慢できないなと思った。だから伝えた。

「今から超無責任なことを言いますけど、わたし、あなたが超ラブです」

そう言うと、その人は「いいね、超ラブ」と言って笑った。おそらくはその人もわたしとの間に一戸建ての関係性を結ぶことは望んでいなかったんだと思う。

それでも収まりがつかなかったわたしは「ごめんなさい、まだラブが止まらないので、もう少し言わせてもらってもいいですか。好きです!すっごく好きです」と言って、30秒だけ胸を借りた。そうしてほんの少しだけ、泣いた。悲しいとかとは違う。感情の高ぶりを抑えるために、持てる限りのその人への「好き」を全部吐き出して伝えたかったのだ。

その人は「そっかー、そっかー、いいね」と言って、わたしの頭を撫でた。手をつないだわけでも、キスをしたわけでもないし、それを望んでいるわけでもない。関係性は何も変わらないが、わたしの気持ちを受け取ってくれたという、えも言われぬ充足感がわたしを満たした。

思いの丈を伝えて受け取ってもらえるのは、それだけでこんなに気持ちの良いことなんだと思った。一戸建てを建てる覚悟をお互いに持って、好きと言える関係っていいなとも。

とは言え、わたしはやっぱりまだ自分の「好き」の延長線上に名前をつけたいとは思えていない。だけど、「好き」な気持ちを殺す気もない。それどころか全身全霊をかけて相手に伝えていきたい。溢れ出る気持ちを、愛情を。

だから、それが恋とか親愛なのかとか、そんな境界線はどうでもいいし、曖昧でいい。もしも第三者が興味を持つようなことがあれば、彼らが勝手に恋なのか親愛なのかを解釈してくれればいいだけの話だ。わたしは後先考えず、”今”のまっすぐな「好き」を伝えたい。頼むから、お願いだから、もっとファジーに愛させて。

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