【‘19/02/01】韓国と日本のカルチャー

今日は韓国人の子と遊びました。

彼は今日が旅最終日ということで、豪勢に(と言っても普通のレストランですが)、いきました。

一応僕年上だったんですけど、すごい気を遣ってくれました。

なんか本当に韓国と日本ってカルチャーがにてるなって。

色々聞いてみると、やっぱり似てるなーと。

噂では聞いてましたけど、実際に聞いてみると

「へぇ!」

と思うことばかりでした。

例えば、上下関係について、とか。

これは結構有名だと思うんで、事例はハショリますが、まぁ似てる。

その行為の根底にある、精神というものがどことなく似てるなという感じです。

✈︎✈︎✈︎

これってどっから来たのかな、と少し考えて見ました。

今回の旅のテーマが「教養」ということで少し「歴史」という観点から考察して見ました。

やっぱり、

戦時下に日本が行なった。「韓国併合」に遡ると考えられますね。

韓国併合(かんこくへいごう、英: Japanese annexation of Korea)とは、1910年(明治43年)8月29日、「韓国併合ニ関スル条約」に基づいて大日本帝国が大韓帝国[1]を併合して支配下に置いた事実を指す。日韓併合、朝鮮併合、日韓合邦とも表記される[2]。この後、日本による朝鮮半島の統治は大日本帝国がポツダム宣言による無条件降伏後も支配は厳密には続き、1945年(昭和20年)9月9日に朝鮮総督府が降伏文書に調印するまで実質的には約35年間続いた。
(引用元:Wikipedia)

この35年の間に、日本は当該地域の水準を日本国内と同じ水準まで引き上げるために、かなりの投資したそうです。

医療水準が上がり、健康レベルが上がり平均寿命が伸びたり(この世代が戦後の韓国を支えたそうです)、農地改革によって食料の生産を促進したり、などなど。

諸々のインフラを整えたのが当時の日本っぽいですね。

まぁ当時はその全てを本国日本に供給していた、と主張する研究者もいるっぽいので、当時の状況はどうだかわからないですけど。列強が植民地にしていたようなことを日本もしてたかもしれないですね。

しかし、その土台を日本が作ったことは確かですね。

そして注目すべきところは、「教育」も力を入れていたそうですね。

日本統治下においては、日本内地に準じた学校教育制度が整備された。初代統監に就任した伊藤博文は、学校建設を改革の最優先課題とした。小学校も統合直前には100校程度だったのが、1943年(昭和18年)には4271校にまで増加した。
1911年、朝鮮総督府は第一次教育令を公布し、朝鮮語を必修科目としてハングルを学ぶことになり、朝鮮人の識字率は1910年の6%から1943年には22%に上昇した。
(引用元:Wikipedia)

当時の日本の教育が今の韓国のカルチャーに大きく影響してるのかな〜と。

そんな気がして韓国人にものすごく親近感を持ちました。っていうお話。

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