【'19/02/06】続・日本に蔓延している”見えざる手”
昨日の続き
この平等であるべき、っていう思想はどこから来たんだろう。
僕は研究者とかではないから詳しくは知らないけど、やっぱ教育なのかなぁって。ありきたりだし、課題があるたびに大体みんなそれの根源は教育だっていうけど、それに習って僕もこの”平等であるべき思想”は現行の教育システムから来てるのかなーって推察します。
そりゃそうですよね。
あれだけ長い間軍隊のような生活を送ってるんですから。
出る杭は徹底して叩け
のような教育。
皆さんも容易に想像できるように現行の学校教育は”同じような人を作り出す訓練所”です。
みんな一緒!平等!
といえば響きがいいですが。
裏を返すと、”みんな一緒じゃなければならない”
そんな考えが僕らの思想の根底に植え付けられています。
それが僕たちの”平等思想”につながっているのかなと。
この”平等思想”の何が危険か。
✈︎✈︎✈︎
正直政治の話なんかしなくても一部の人がなんとなく上手くやってくれてるから大丈夫、みたいな空気があるような気がしてる。
それは僕たちはこれまでそういうことを学んでこなかったし、それについて話す必要がなかった。
だって、知らなくたって国は動いてるし僕らには大した被害はない(今の所)。
だからそれについて知る必要もないし、話す必要もない。
そうやってうちにそういう話から遠ざかってきた。
だから、誰かがそういう話をすると、
「おいおいちょっと待ってくれ、何知らない話してくれてんだよ」
「俺そんな話知らないし、知らないこと話すのやめようぜ?ね?”意識高い系”はやめようぜ?みんな”平等”だろ?な?」
という心の声が聞こえてきます。
お前、その発想ひねくれすぎだろ、と思うかもしれませんが、何を隠そう昔僕はそう思ってました。
なのでそう思う同じような人もいるのかなぁという根拠にかける推察です笑
こうして、「足を引っ張り合う日本の”平等主義”」によってそうした話をするのがいつのまにか暗黙の禁止事項になっていったのかなって。
民主主義政治の始まり古代ギリシャでは、ポリスがいくつも誕生しポリスごとに最初は民主主義政治がうまく起動してそれぞれ安定した都市国家をついていた。
そしてその頃から、価値観なんて人それぞれじゃない?と言う相対価値主義が蔓延していた。というのも、安定していたこの時代、なんとなく上手くいってるからよくない?っていう平和ボケ。市民は政治について考えなくなった。それが衆愚政治。そのタイミングで、その状況を憂いていた男が登場した。
それがソクラテス。
彼の残した「無知の知」は、「知らないことを知ってる俺は偉い!」ということではなくて、
だからこそ、徹底的に対話を尽くしてそれについてみんなで考えなきゃいけないよ?っていう、対話のきっかけを作ることばだった。
だからみんなで考えて議論を尽くしたいなぁって
✈︎✈︎✈︎
僕はイランを旅して、少し自分のことが恥ずかしくなった。
なんで自国の政治のことをあんまり詳しく知らないんだろう。
みんなで議論して当たり前なのに。
ホストにこう言われてなんか申し訳なくなった。
「日本はすごいデモクラティックな国でいいよね!イランの政府はクソだ!民主主義がいい!」
形式上は国民主権だが、ほとんど貴族政治みたいなもんだ。
確かアリストテレスはこういってた。
国の支配体系は3つ。
独裁型、貴族型、民主型
1つ目は皇帝がクソだったら崩壊。
2つ目は権力を持った一部の権力者たちが覇権を争って内部分裂し崩壊
3つ目は最終的に衆愚政治のようになって崩壊。
今の日本は2と3が合わさったような状態のように感じる。
形式上は国民主権でちゃんと投票して(投票率は50%だが)、議員を選び、その議員たちはまともな議論を尽くさず、議会では国をよくするための追求ではなく相手を貶めるためだけの追求。
ただ、まだあんまり政治のことを知らないし、もっと勉強しなきゃなって。
個人でももっと学んで、足りないところは他の人との対話を通して学んで補って。
みんなで学べばもっとより良い国に。
自分の国のことを誇れるようになるなって。
痛感した次第です。
もっとフラットに友人同士でも政治とか未来についての話ができるようになった頃、それが当たり前になった頃、根底にある”平等主義”という”見えざる手”がなくなった頃、
僕は海外の友達に自信を持って日本は最高の国だ、って言えるような気がしています。
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