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参天台五台山記読記011

四日(癸丑)
巳時。依有順風,出船向西行。上帆馳船。未時,南見烈港山金塘(【考】塘,恐塘字。松、學兩本作垢)鄉。有人家。向西北上。有吳農山。無人家。連四座小山。大船不可通。來去山外通船。烈港(【考】港,松、學兩本作泥)山南,有一小山。號為鐵鼠山。無人家。山下泊得船留。鐵鼠山西,有加門山。無人家。西有令磏(【考】磏,恐[石*鹿])山。無人家。山中下有通船來去。向西南,入定海縣。縣南有[石*鹿]座山、名遊山。港口有虎頂山。無人家。上到招寶山,無人家。金鷄均(【考】均,閣本作[土*句]),在港口東畔。無人家。從港入明州。令不入明州。直向西赴越州。依越州指南人出來。申時出船,向東山北邊。同二點止船。有人家數十。明州界內也。七時行法了。

ノート:
巳時(午前9時~11時)頃、運が良く順風になったため、西へ船を進めた。帆を立てて大海原を駆けた。未時(午後1時~3時)頃、烈港山金塘鄉が見えるようになった。家屋がそこにあった。西北へ向かって進むと、無人島・吳農山があった。4つの小山が連なっており、水道が狭くなっていたり、暗礁があったりして、大きな船が通れない航路になっていた。山の外を行き来する際には、渡し船を利用しなければならなかった。烈港山の南に、鉄鼠山という小山があり、そこにも定住者がいないようだ。山の下に泊まる船があった。鉄鼠山の西には、加門山があ利、こちらも無人島だった。西には令磏山があり、こちらも人がいなかった。渡し船が山の下を行き来していた。
さらに西南方向に進むと、定海県の県境に入った。県南には[石*鹿]座山、名遊山があり、浦には虎頂山があったが、いずれも家屋がない寂しい風景だった。招寶山を登ったが、人影も見られなかった。金鷄均は、浦の東側にあり、ひっそりとした無人島だった。
浦から明州に入ろうとしても許可がもらえなかったため、西方向の越州に向かうことにした。越州の地理に詳しい案内人を頼むことに成功した。申時(午後3時~5時)頃に出帆し、東山の北側に向かった。同二点、船を泊めた。そこに数十の家屋があり、明州の州境に入ったのだ。七時(後夜)に勤行を修了。
ようやく念願の入宋ができたのだね。めでたし、めでたし。少し位置関係の推理をしてみよう。
東茹山(もしくは東茄山)から西へ向かって、4時間ほど航行すると、烈港山金塘鄉があった。これは現在の濿港を擁した金塘島を指していると考えられる。「鄉」と呼ばれていたことから、相当賑やかな集落になっていたに違いない。内陸に近いことを意味している。
吳農山とは、多分魚龍港と呼んでいる海域に浮かんでいる四つの島々のことを言っているのだろう。
鉄鼠山、加門山、令磏山などの地名は特定するのが難しいが、埋め立て地域になったのかもしれない。加門山は現在の千畝岙ダムの近くにある江門嶺に当たるかもしれない。
定海県は寧波の鎮海区に当たるとされる。甬江の入り江に位置する海辺の町だったのだ。
招寶山は現在でもその名で呼ばれており、日本や朝鮮など海外から商船が入るから、この名前に決めたという。
甬江を隔てて、寧波の北侖區には金鷄山がある。


定海県治図


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