王子、常世の神、補陀落、みみらく、夷、ミロク


糸我:嫁をとるなら糸我の会式
波田須王子の島 徐福上陸地
白河上皇は熊野御幸のとき、三鍋王子で昼食をとった。昔の人々は三鍋王子で鹿島(敦盛塚もある)に向かって拝んでいたらしい。これは岸の王子と沖の王子というセットになる。
リアス式海岸では、島を神格化して岸に鳥居を立てて拝んでいたが、鳥居自身が拝む対象になってきた。
宮城県牡鹿半島南東端の太平洋上に位置する金華山では常世の神として綿津見神(海神)を拝んでいる。島全体を回る辺路修行も行われている。大昔の海洋民は死者を海に水葬したからそういう慣しがあるかしら。(補陀落渡海よりずっと前、水葬が実際に行われたらしい。例:熊野の花の窟)それとも海を渡ってきた人たちが海の向こうに残された祖先を祭る行事として行われたか。
那智海岸の山成島:平維盛が南無阿弥陀仏を唱えて海に飛び込んだ(平家物語)
智定坊(吾妻鏡)
海の彼方の死者の霊の世界は常世または根の国と呼ばれる。
死者の霊は永遠に年を取らないから「常若の国」という。(浦島太郎は龍宮から玉手箱を持って帰った。)
日本書紀(8世紀初)では蓬莱山をとこよのやまと読ませる。浦嶋子が「蓬莱の山に到て仙衆(ひじり)を歴り覩る」。
「みみらく」に行けば死んだ家族に会えるのだと信じられていた。(蜻蛉日記)
九州西北にあたる五島列島の北側にある「みみらく」は遣唐使が船待ちをしたところだった。(万葉集)
五島市にも三井楽町がある。

常世からきたとされる物を尊ぶ漂着物信仰。例えば、吉野の比蘇寺(世尊寺)の放光仏(阿弥陀如来)は漂着木(光を放つ楠)で作られる。日本海側では因幡薬師(平等寺)、琵琶湖では長谷観音(奈良長谷寺)がある。海から流れてきたものが夷神(えびす)、つまり外国(そとつくに)の神になる。
夷は王子なのだ。若一王子は一の御子で、ヒルコのこと。子孫を祝福するから福神になる。
ミロクは根の国から訪ねてくる神で、飢饉の年に私年号になる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?