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參天台五台山記読記014

十二日(辛巳)
巳時出船。雨雖少下依潮滿風宜。未時著越蕭山泊。三船頭、林廿(【考】廿,諸本作少,今據原本,下同)郎、梢工陳從來向。慇懃與小刀各一柄了。廿郎、陳從各進糖餅六枚。從陸來人送六枚。船人々分與了。七時行法了。

ノート:
巳時に出発する。雨が少し降っているが、潮が満ちて風向きにも恵まれているため、未時に越の蕭山に着き、そこに泊まった。三人の船頭、林廿郎(林臯)と梢工(漕手)の陳従が来向かった。丁寧に小刀を一本ずつ渡してもらった。林廿郎と陳従から、甘いお餅をそれぞれ6枚ずついただいた。陸地から来た人たちからも6枚のお餅を贈呈された。船に乗った人たちは、全員がそれぞれのプレゼントを受け取った。勤行は七時(後夜)に終了した。
浅学ながら全く分からないが、小刀というのは九寸五分を指すのだろうか。自己防衛以外にも、紙を切るためや硬い茶磚を切るために使われる小刀があるようだ。『観世流改訂謡本』には、ワキ(箱崎某)の項に梨打烏帽子、白鉢卷、着附厚板、込大口、上下長直垂、小刀、扇と記されているように、装身具としての用途も考えられる。仏教的な装飾が施された小刀を旅の中で出会った友人に贈ると喜ばれるだろう。

十三日(壬戌)
小雨下。巳時雨止。潮滿々來,音如雷聲。人々集出見之。造岸潮向來。奇恠事也。即出船了。未時著杭州湊口。津屋皆瓦[卄/(亡@口)/月]。樓門相交。海面方疊石高一丈許。長十餘町許。及江口河左右同前。大橋亙(【考】亙,松、學兩本作立)河。如日本宇治橋。賣買大小船不知其數。廻船入河十町許。橋下留船。河左右家皆瓦[卄/(亡@口)/月]。無隙竝造莊嚴。大船不可數盡。七時行法了。

ノート:
小雨が降ったが、巳時には止んだ。潮が高まり、波が押し寄せるたびに、雷の轟きが聞こえた。皆が集まって見物したいという様子で、波が襲う岸辺まで足を運んだ。これは何とも摩訶不思議な現象だ。
その時、出帆した。未時には杭州の港に到着した。渡しの近くにある家屋はすべて瓦葺きで、樓門が隣り合わせになっていた。海辺には高さ1丈、長さ14町ほどの石の防波堤が築かれ、川の入り口の左右にも同様の工事が行われていた。川上には日本の宇治橋のような大きな橋が架かっている。商売をするために行き来する大小の商船は数え切れないほど存在した。
船を川に沿って十町ほど進めて、橋の下に船を停めた。川の両岸にはすべて瓦葺きの家屋が立ち並び、隙間がないほど立派な建物が建っていた。大きな船も数えきれないほど多くあった。日課の修業は七時(後夜)に完了した。
大波が押し寄せてきたのに、見物客が多いというが、成尋らが越州の「錢塘江の大逆流」の名所を通過しただろうと思われる。この場所は、伍子胥という人物の祟りによって錢塘潮が形成されたと言われている。毎月末や月中に潮が高まり、特に中秋の頃には、数メートルを超える津波となって岸辺に押し寄せるという自然現象は、古くから多くの中国人を惹きつけ、魅了している。浙江省警察は、2020年から2023年までの4年連続で錢塘潮の観光地で逃げた犯人を捕まえたほど、錢塘潮の人気が高い。
杭州港に寄港した成尋は、防波堤の整備や瓦葺きの部屋の普及、そして船の多さに気付き、日記に記した。宋の時代には、明州をはじめとする浙江や江蘇などの沿岸部では、造船所がいくつも賑わっていた。明州の材木が不足するほど船の建造が盛んだった。また、招宝山には市舶司があり、舟山群島などにもそれぞれ軍事基地が設立され、船の出入りや海上の秩序が管理されるようになった。また、錢塘潮の季節、海が最も荒れる時には、海上で軍事演習が行われたという記録もいくつかの書籍に残っている。


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