參天台五台山記読記005

廿三日(癸卯)
雨下。艮風大吹。波浪高扇。午時天晴風止。海中留船。待順風吹。令人登桅。令見山島。悉稱不見。戌時得順風馳船。終夜飛帆。雀尚有。

廿四日(甲辰)
天晴。風吹如故。馳船不止。午時風止船留。令人登桅見山。戌時南島稱不見。風吹來。終夜向北馳船。人人竟夜歎息。雀猶在船。

廿五日(乙巳)
天晴。東北風吹。大悅進船。巳時以後。四方大翳。不辨東西。午時天晴。順風如故。未時始見蘇州石帆山。大巖石也。無人家。船人大悅。丑時至蘇州大七(【考】七原本傍注有セチ假名。閣本傍注有茅字。誤讀セチ歟)山宿。從日本國至大唐蘇州三千里。(弘法大師云。海路間三千里到蘇州。)

ノート:
東北からの艮風が吹いている間に、昼も夜も船を進める。ちょっと間違えると北へ流れてしまうから、方向性が大事だ。昼の時に風がないと、船の進行を止めて、その順風を待つことにする。また、山島などを観察して、あらゆる条件を調べて航行を調整する。
海の天気変化は激しい。東西の区別すらつかない真っ暗な時刻もある。その時には、本心を守り切って我慢することが重要だね。再び天日が現れる時が必ず訪れてくる。
二十五日に、ようやく蘇州の石帆山が視野に入ったんだ。みんながほっとし、大喜びする。蘇州の大茅山に宿泊した。「茅山道士」で知られるあの山か。弘法大師曰く、日本から大唐の蘇州までは三千里の距離がある。なるほど、蘇州もSky Seaさんゆかりの地なのだ。地図で測ると、北九州から蘇州までの直線距離が約1000キロになる。正式に出発したのは十九日で、大陸に着いたのはその六日間後だから、平均速度は3.6ノットになる。航海については全く知識がないが、船宿の時間を考慮すると、成尋一行の今回の旅は『土佐日記』(935年)の13倍ほど速かった。風の影響もあるだろうが、技術の進歩が目立つ。

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