見出し画像

映画『静かな雨』〜暦を紡ぐ、たい焼きたち

2/7(金)公開の映画『静かな雨』を京都・出町座で鑑賞しました。

以下、あらすじです。

たとえ記憶が消えてしまっても、ふたりの世界は少しずつ重なりゆく
大学の研究室で働く、足を引き摺る行助は、“たいやき屋”を営むこよみと出会う。
だがほどなく、こよみは事故に遭い、新しい記憶を短時間しか留めておけなくなってしまう。
こよみが明日になったら忘れてしまう今日という一日、また一日を、彼女と共に生きようと決意する行助。
絶望と背中合わせの希望に彩られたふたりの日々が始まった・・・。
(映画公式サイトより引用)

あらすじを読むだけでは、「この手の話はいっぱいあるな」と感じてしまうような、ありふれた物語に見えます。私も、最初はそう思ったのです。

欠けたところを二人が埋め合っていく…というところ、また映像の質感からなんとなく『ジョゼと虎と魚たち』を想起させる部分があり(私の鑑賞歴に偏りがあるだけですが…)、予告編の段階では別れて終わり…という結末なのかなとも思ったりしました。


セオリーから外れる心地良さ

こよみも行助も、自分たちの生い立ちについては必要以上に語りません。こよみはピアノか大学かで悩んだ末、大学進学するが、紆余曲折ののちなぜたい焼き屋になる道を選んだのか。そこが物語の主軸になっていくのかな…?と思わせて、それは断片的に語られるのみ。

サブキャラクターとの距離感も良い。例えば行助が勤める研究室の教授も院生は、行助の恋路にちらっと触れながらも、詳しく聞くわけでもなく、下世話なアドバイスをしようとなどとはしません。よくある話だと「えっ彼女が一日で記憶をなくすの?一緒に考えてあげる!」みたないキャラクターが出てくるが、本作の場合深くは踏み入らない。かといって冷たいわけでもなく。こよみの元彼も母親も、暖かく今の彼ら彼女らを応援する気持ちが描かれていて、余計な口出しはありません。この距離感が観ていてとても心地よかったです。

こよみが記憶を留めておくノートをつけていたことが終盤明らかになりますが、おそらくたい焼き屋についても記していただろうなと想像させる部分も良かったです。接客業、特にああいうタイプのお店では、お客さんの変化などについての敏感さが求められることは想像に難くありませんが、劇中の描写ではごく自然に接客をこなしているように見えます。お客さんも相手に昨日の記憶が無いことなど全く意に介することなくたい焼きを買い求めていくのです。

日々を積み重ねていく二人

「あなたの世界に私がいるし、私の世界の中にあなたがいる。だけど、それは同じ世界ってわけじゃない」

こよみが劇中で発する台詞。この映画の主題がこの台詞に込められているように感じます。恋愛に限らず友情などにしても、どれだけ深く関わっても相手のことを100%理解することはできません。「最終的に相手と私がわかり合い一つになる」という結論に至る作品が多い中で、淡々とした日々の積み重ねを中心に映画は進んでいく。これはドラマにしたら全然盛り上がりのない駄作になりかねないですが、映画だからこそ成立する描写でしょう。焼き芋を食べる、たい焼きの餡をつくる、一緒にコーヒーを淹れる。昨日の記憶があろうがなかろうが関係なくて、その一つ一つが尊く見えてくる、丁寧な演出。そのバランスが絶妙でした。

余談ですが、主人公がブロッコリーが大きらいなのにヒロインは毎日ブロッコリーを料理に使う…というエピソードがあるのですが、その日「出町座のソコ」でいただいた日替わりランチにブロッコリーサラダが付いていたのは偶然ですかね…(笑)

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?