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自民党の茂木幹事長が安倍元首相の国葬について「国民からいかがなものかという指摘があるとは認識していない」「野党側の主張は国民の声とはずれている」⏩国葬には反対世論が沢山ある。どうしてもと言うなら統一教会と自民党の合同葬でやるのが筋だ

【自民党の茂木幹事長が安倍元首相の国葬について「国民からいかがなものかという指摘があるとは認識していない」「野党側の主張は国民の声とはずれている」⏩国葬には反対世論が沢山ある。どうしてもと言うなら統一教会と自民党の合同葬でやるのが筋だ】
 安倍元首相が凶弾に倒れてから1週間足らずの決断だった。岸田首相が14日、首相官邸での記者会見で安倍の「国葬」を今秋に行うと表明した。国会で何ら議論もせず、国民に諮ることもなく、そそくさと決めたことには、ただただ驚いた。
 案の定、この「国葬」決定の7月14日以来、ネットでは、#安倍晋三氏の国葬に反対します #国葬反対  そして、安倍氏と深い関係にあった、「旧統一教会」も批判の的になり、#政教分離 #安倍家もズブズブ #自民党って統一教会だったんだな  などもも同時に度々炎上している。
 つまり、安倍氏の死は別として、「国葬」と「統一教会」が入り混じって毎日のようにトレンドになっている。そして、これがかつてないほどの、もの凄い投稿数なの現実である。ネトウヨが慌てて作った反論していても、反対の投稿にはまったく及ばない。とにかく、彼らは「政府に反対する」投稿をみると、汚い言葉を使ってRTで批判しているが、論理的ではない。
 まあ、結局は政府方針のようになると思っているようだ。
野党も共産党、社民、そしてれいわ新鮮組は「反対声明」を出している。

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【きのう、自民党の茂木幹事長がおかしな言い回してし、「国葬」ありきの発言している】
 自民党の茂木幹事長が安倍元首相の国葬について「国民からいかがなものかという指摘があるとは認識していない」「野党側の主張は国民の声とはずれている」と発言した。
 与党こそが、これだけ反対の世論があるのに、「いかがなものかという指摘がある」と認識さえしないとは、まさに安倍国葬に対する反対意見を無視すると決め込んでいるわけで、国葬の目的が異論を抑え込んで排除することにあることを自白したようなものである。
そのまま言葉をこう返しておきたい「自民党の主張は国民の声とはずれている」事を示している。

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 確かに、NHKの世論調査で、安倍元総理の国葬を評価する人は49%、評価しない人は38%となっている。
 評価する方が多いのは認めるが、国民の38%の声を茂木幹事長が「認識しない」としているのは、「自民党と同じ意見に非ずんば人に非ず」そのもので、何たる傲慢かと思われても仕方がない。

【茂木幹事長「国葬反対は国民の認識とずれている」 野党の一部に反論 毎日新聞 2022/07/19】

   自民党の茂木敏充幹事長は19日午前の記者会見で、安倍晋三元首相の「国葬」を巡り、野党の一部から国会での閉会中審査を求める声が上がっていることについて「法律上も全く問題ない。国葬は極めてふさわしい、適切なあり方だ」と述べた。
 野党の一部には安倍氏の政治的評価が割れているなどとして、国葬に反対する意見がある。これに対し茂木氏は「国民から『国葬はいかがなものか』との指摘があるとは、私は認識していない」と指摘。「野党の主張は聞かないとわからないが、国民の認識とはかなりずれているのではないか」と反論した。
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Twitterの反応ーー。

ーー以下略ーー

【安倍が不慮の事件で亡くなった件は、本人の生きざまが死にざま。政治家の『非業の死』を、国民の押し付ける政治利用を許してはならない】
 茂木幹事長は戦前の「国葬令」がすでに廃止されていて、今国葬を行なう根拠法令がないことについては、岸田首相と同じく「内閣府設置法で、内閣が国の儀式を所管すると明記されている。政府が閣議決定を根拠として国葬を行うことは、法律上も全く問題ない」と強弁しているが、「法律解釈」としては全く間違っている。
茂木がいう「内閣府設置法第4条3項第33号」はーー。
「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く)」と規定してある。
 
しかし、これは内閣府という組織の所管事務を規定した組織法であって、「国葬」については何ら触れていなくて国葬という言葉さえ出てこないのだ。 つまりこの条文では、内閣は国の儀式をすることになればそれを所管すると規定されているが、そもそも問題になっているのは法律で定めた国の儀式の中に国葬がないことなのだ。
 かつて、「国葬令」というものがあった。特定の個人の死を国家として悼む制度を法制化したものである。帝国議会の協賛を経ない勅令という法形式。1947年の日本国憲法施行にともなって失効している。
 仮にやりたいのであれば、政府は、国家開催して「必要な法律がなければ整備する」のが政治の役割でもある。政府内からも「法律をつくって国葬にすればいい」と「官邸筋」の「内閣法制局」の声が上がったのだ。
 
とにかく、「国葬」であれ「合同葬」であれ、はたまた「国民葬」という形においてであれ、特定の死者に対する国民への弔意の強制はあってはならない。 野党と同じくであり、反対の声をあげてる人は国葬には反対であろう。

▼第4次安倍政権の閣僚と思想、宗教との関わりである。どの思想に沿った葬儀をしればいいのか?誰にも分からない。「国葬」にしれば神格化につながるのは明白である。

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【そもそも、人の死は本来純粋に私的なものであって、他人が「どうこう」と言うべきではない】
その葬儀は、その人の死を真に悼む人々によって執り行なわれるべきものである。 これを「政治的パフォーマンスとして利用」することはやってはいけない。
 政治家の葬儀とは、そのような邪道としての政治的パフォーマンスや政治ショーとして行われてきた。
 本来は私的な特定人物の死を、国家がイデオロギー的に意味づける政治利用の極致が国葬にほかならない。
 安倍晋三の葬儀は、真に安倍を悼む人々が私的に執り行えばよい。自民党と統一教会で合同でやればいいのではないか。
それ以外の人々を巻き込んで、弔意と費用負担の押し付けてはならない。国家に、そのような権限はない。
 わたしは、あんな嘘つきで自己中で、総理権力で国家を私物化した安倍氏の葬儀には参加したくない。
「民主主義まで持ち出して安倍国葬」 今この国を覆う空気の薄気味悪さを強く感じる。
 今、安倍晋三氏の死の経緯が「旧統一教会の広告塔」になっていたからだとか、安倍の政治が憲法や法律や議会制民主主義を踏みにじる行為の連続だったと事を考えて見よ。


#茂木幹事長 #安倍死の国葬 #法的根拠は嘘だ #安倍氏の政治 #安倍氏の人格 #国家に権限 #無理がある #政治的パフォーマンス  



 


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