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#003 昭和初期の琵琶湖疏水

 #001から調べている「大津市名勝」と題されたシリーズの絵葉書セットから琵琶湖疏水を題材にした絵葉書をひも解きます。疏水を題材にした絵葉書は「京への水路疏水」と「疏水閘門」の2枚が作られています。セットものの絵葉書のセオリーとして、1つのシリーズで同じ題材を2枚いれるのは珍しい気がします。

「京への水路疏水(大津市名勝)」絵葉書全景

京への水路疏水

 まずは1枚目。撮影場所は第1疏水、鹿関橋からみた第1トンネル方向の様子です。大津で琵琶湖疏水を撮るとすればここしかないという構図で、縦の構図ですが、三井寺観音堂が上にチラリと入り、中央に見えるトンネルに向かって水路が伸び、疏水船がチラホラと浮かんでいます。
 今でもこの場所は桜の名所ですが、両側に見える桜の木はまだ若く、水路を覆うように伸びる現在とは、空のぬけ具合が違っています。

「京への水路疏水(大津市名勝)」トンネル部分の拡大

疏水通船

 近年、疏水通船が復活して、船に乗って京都に行けるようになりましたが、水路を見てみると、この当時は向かって左手に転落防止の柵があったのがわかります。わかりづらいですが、奥には小屋のような建物も見えます。この柵は、疏水建造当時はなく、戦後の写真にも写っていないため、この時期だけあったのだろうと思います。とはいえ、柵の見た目はコンクリート製のようですから、作るのも壊すのも大変だったろうと思います。
 ちなみに、向かって右にも同じような通路がありますが、こうした道は疏水を曳舟するためのものです。こうした部分をみていると、船は一方通行ではなく、京都から曳かれて戻っていたのだと実感できます。

「疏水閘門(大津市名勝)」絵葉書全景

疏水閘門

 もう1枚の写真は疏水の閘門の様子です。 疏水の閘門は、1枚目の写真が撮影された場所から振り返ると見える設備です。
 この閘門は、正式には琵琶湖第1疏水の「大津閘門」。向かって右がそうですが、船が琵琶湖と疏水を行き来するときの進入口にあたるものです。
 なぜ門が必要かという点についてはこうです。琵琶湖疏水は取水が目的のひとつなので、琵琶湖の水位が下がっても疏水に水が流れるよう、水面の低く設計しています。そのため、船が行き来するためには、前後に2つの門を設けた閘門を交互に開け閉めして、それぞれの水位にしてから進入する必要がある。こんなところでしょうか。ちなみに向かって左の水路は、琵琶湖から疏水に向かって堰になっているので、船は通れません。

閘門部分の拡大

 写真では疏水側の門は完全に開いていて、琵琶湖側は半開の状態、つまりどちらも開いているので、水位の差がない記事に撮影されたと思われます。言葉での説明は難しいですが、大津閘門は執筆時点では工事中で、2023年には琵琶湖から船が乗り込めるように改造中です。行き来するようになったら、一度体験してみたいアトラクションです。ちょっとお高いですが…

閘門の向こう側(手前の柵が閘門)

閘門の向こうの橋

 備忘録なので、写真を拡大してわかってたことを書いておきます。閘門の向こう側、琵琶湖に向かって3つの橋が見えます。
 閘門の向こう側が「北国橋」。今は2車線プラス歩道がある大きな通りのなので、もちろん架け替え前の姿です。次に見える茶色い鉄橋(モノクロですが…)が京阪電鉄の橋。もうひとつ向こうに橋が見えますが、この橋は人道橋でその向こうに江若鉄道の鉄橋があるはずなのですが、ここでは見えません。このあたりには、当時は船が係留されていたのがわかるのも、見どころでしょうか。

 今回紹介した2枚の写真は、現代の疏水船が琵琶湖から乗り入れるようになると、今昔が比較できる良い絵葉書だと思います。


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