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大人の目、子どもの目

 街を歩いていると、グズグズしている子どもを母親が叱りつけている光景を目にする。「そんなとこ見てないでさっさと歩きなさい。」頭の芯に響き渡るような金切り声を浴びながらも、なお抵抗する子ども。

 私は、大人と子どもでは同じ風景を見ていても見え方が違うと思う。目線の高さは抜きにしても、大人になると見えなくなってしまうものがあるように思う。

 私は幼い頃、狭いながらも庭のある家に住んでいた。そして夏のある日、巣を出入りするアリを眺めていた思い出がある。母の目を盗んで台所から失敬してきた砂糖を置いてみたり、サッシの桟に転がっていた蠅の死骸を置いてみたり…。その時々のありの行動を観察しながら優に半日は時間を潰すことができた。

 またあるときは、学習雑誌の付録についてきたゲルマニウム(鉱石)ラジオに凝ったことがあった。ニクロム線を窓枠から水道管に張り巡らし、雑音の中かすかに聞こえる深夜放送のDJに耳を澄ましたものである。

 人は大人になると、子どもの頃「つまらないことにワクワクした記憶」を忘れてしまう。冒頭で述べたお母さんも、そんな悲しい大人の一人ではないだろうか。さらに今の子どもたちには、つまらないことに熱中する暇さえない。

 子どもにとって何かに熱中する時間は決して無駄ではない。それを「つまらないこと」と決め付けるのは大人の身勝手な価値観である。子どもたちは、いろいろなことに熱中する経験を通して、自分の一番やりたいことを見つけていくのである。

 あなたは今、何に熱中していますか?

★私は今、バイク旅に熱中している。車も好きである。これは、子どもの頃、ラジオづくりや鉄道模型、フィルムカメラ、PCプログラミング等に熱中した延長だと思う。今の中学生が熱中しているのは、電子ゲームと、LINEを始めとするSNSによる仮想現実的(バーチャル)なやりとり。どちらも虚構の世界。手に触れられない、現実味の薄い世界である。それがすべて悪いとは言わないが、手に触れられる世界に、一つで良いから熱中する楽しさを味わって欲しい。

学校教育には矛盾がいっぱい!