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★宗教と人間 ~創価学会考~

私の叔父は創価学会員である。幼い頃から叔父は仏法の話をしてくれた。教員になってからも、折伏を受けた記憶がある。

私が小学校3年、4年の時の担任も熱心な創価学会員である。やはり何回かお誘いを受けて、若い頃は集会にも参加した。「創価学会という宗教の本質とは何か?」を知りたかった。

一度、巣鴨の大講堂に行ったことがある。200畳はあろうかという広間に、信者がびっしり座っている。壇上に久本雅美氏が登場すると万雷の拍手。「~ではありませんか!」と久本氏が呼びかけると、また、万雷の拍手。

「これが、創価学会という宗教かぁ。」と私は感じた。ある種のエンターテイメントである。音楽ライブに似ている。皆で一つのことに集中し同じ行動をすると、そこはかとなく連帯感が生まれ、気分が高揚する。脳内ではアドレナリンが放出されるのだろう。これを繰り返すことにより、深く深く、のめり込んでいく。それまでに経験していたキリスト教とは趣が異なる。

昔、「となりのトトロ」もとい、「となりの創価学会」(別冊宝島)を読んだ。私が幼少期に住んでいた都営住宅の長屋の隣は、正に「となりの創価学会員」が住んでいた。そして、「ジャーホーレンゲーキョー」の連呼に夜な夜な悩まされた。たまに、集会が行われるときには、それが大合唱になる。壁の薄い都営住宅。勉強どころでは無い。

前出「となりの創価学会」は東京の下町、荒川区町屋三丁目の描写から始まる。10軒に1軒弱が創価学会家庭(平成7年出版時現在)だそうだ。全国的にも、特に創価学会員が多い地域と書かれている。創価学会は戦時中の「隣り組」に似ている。草の根の生活互助会の役割を果たしている。近くに身寄りのない、特に地方出身者は、困った時に受けた恩を忘れられない。また、恩を受けた者は、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えれば、苦しい現状から脱出できると教えられる。折伏である。そうやって、創価学会は勢力を広げ、日本一の宗教団体に成長した。また、創価学会組織内でのステイタスが上がることで、大きな組織に所属していない下町の住人の自己承認欲求が満たされるのだそうだ。なるほど。

国会では政権与党にすり寄り、都政では知事にすり寄る。創価学会と縁の深い政党の動きは不可解である。私の身の回りでは、創価学会員仲間であれば、悪事でも協力し、助ける動きも見られる。それは違うでしょう。

法律ができる前、宗教は道徳の規範として機能した。様々な法整備が整った現在、宗教はどんな役割を果たすべきなのだろうか。考えていきたい。

ちなみに、私は無宗教だが、入信するならカトリックキリスト教と決めている(笑)。


学校教育には矛盾がいっぱい!