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心の余裕2

 「趣味で文章を書いています。」と人に言うと、「すごいですねー。」と言われる。しかし、自分としては言いたいことを文字にして並べているだけなので、すごいことをしているという実感はない。なぜ書けるのか自分でも不思議なくらいである。

 最近文章を書いていて、ふと、「書くことは、計画のない行き当たりばったりの旅に似ているな」と思った。一応目当てはあるのだが、書き始めの頃に、本当に書き上げられるのかと言われても自信がない。構成を考えたり、何度も推敲して手直ししたり…。思った通りに仕上げるためには、なかなか手間が掛かる。面倒ならやらなければよいのだが、それが好きだから書き続ける。苦労して書いた文章ほど完成の喜びも大きい。

 私は昨年の夏にカナダへ行った。あらかじめ手配したのは航空券とレンタカーの予約のみ。頼みの綱はガイドブックだけという旅であった。さすがにバンクーバーに向かう機中では、「泊まる所は見つかるだろうか。」「帰りの飛行機に乗れるだろうか。」と不安がよぎった。けれど、案ずるより産むが安し。カメラをなくして片言の英語で警察官に届けたり、日がとっぷりと暮れて真っ暗闇の中をヘッドライトだけを頼りにホテルを捜したり…。困ったことは多々あったが、それが結構楽しかった。

 作文と旅行。二つの共通点は何か。それは、面倒臭さや不安を楽しみ、計画通りにならなくても「まあいいか」と思える心の余裕がないとうまくいかない点である。

 江戸時代の俳人松尾芭蕉は『奥の細道』の中で「月日は百代の過客にして、いきかふ年もまた旅人なり…」と人生を旅に例えた。「ハプニングを楽しめる余裕」は人生を旅するにも持っていた方が得である。

★「かわいい子には旅をさせよ」と古人は言った。旅と旅行と違い細かな行程が決められていない。添乗員もいない。自分で地図を見て行き先を決め、宿の交渉もしなければならない。ハプニングにも対応しなければならない。それが人を成長させる。私は一週間の北海道バイク旅を10回経験した。出発時にはフェリーと一泊目の宿(上富良野のとほ宿、旅の途中)しか予約しない。後は、天気とそのときの気分と、出会った人によって決める。最近は、物見遊山と言うより、出会いを求めて旅をしている。


学校教育には矛盾がいっぱい!