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『変遷』20231130

・すごい空だと思わないか? 水平線のどこかで火事でも起こっているみたいじゃないか。まあ、そんなわけないんだけどね。

・体調はまずまず。でもまだまだ回復の伸びしろがありそうだ。ゆっくりやろう。

・X:旧Twitter(これ一回いってみたかった)を見ていると、かなり偏った考えを持つ人(ぜんぜん知り合いとかではない、見知らぬツイッターユーザーです)に簡単にアクセスできてしまう。なぜこんなに視野が狭くて、自分の考えに固執していて、対立意見(とそれを持つコミュニティ)への批判が、大袈裟に歪んだ解釈と悪意のみの揶揄に終始してしまうのだろう。としょっちゅう思う。

・もちろん以上にあげた特徴は自分だって、誰しもブーメランが刺さっていないかどうかは考える必要がありそうだが、いやいや考えるまでもなくこれは酷いだろう、と思ってしまう人が度々いる。

・特に近年新しく登場した(政治性を含む)考えにまつわる政治的意見が、かなり偏っている人が(私のX:旧Twitter利用環境の中では)見受けられる。

・新しい概念が登場するとき、概念の誕生→周知→定着→受容、といったプロセスを経るのではないか、と大雑把に考えている。人々が新しい概念に触れ始めた「周知」から「定着」あたりのプロセスでは、その概念が受容、浸透、活用される際への懸念が多く議題に上がるのではないだろうか。

・大衆に関してはその傾向が特に強いだろうと考えている。新しい概念に対する(誤解を多く含む)対抗意見は、メディア等の悪意のあるトピックの選定、表現方法によって煽られ、ごく一部の人々は中立さを持たない懸念ばかりを繰り返すようになる。

・対局的に見れば、時代の変遷の一過程と見ることもできるだろう。後世から見れば常識と思われる概念も、当時としては是非のわからないものであった。(この話を考えていて、適切な連想かどうかわからないが、緒方洪庵が天然痘のワクチンを広めようとした際に、牛由来の薬剤を使用したことから『ワクチンを打つと牛になる』という風説に悩まされていたらしいという話を思い出した)

・ただ、そういった偏った意見の中にも、意見の対立構造を理解するヒントになりそうな内容があったりもする。しかし当の本人は「自分の意見を通す」ことと「対立者(たち)を揶揄する」ことに終始していて、自分の発言が核心をほんの少しかすめそうになっていることにあまり関心を持っていないように思える。

・もちろん全ての人が一様ではないだろうし、私の観測できてないところでは違ったことを言っているのかもしれないが。なんというか...…これは勿体の無いことだ。あと少しでも中立的か冷静なら(さらに)建設的な話になるかもしれないのに。

・まあ実際のところ中立的に、対抗意見をある程度摂取してどういう考えなのかを理解しようとしたり、自分の意見から距離をとってものごとを考えることは、かなり労力のいることだ。強制、のようなことはあまりしたくない。

・様々な人がいて、様々な立場がある。そういう日記。

・最近寒くないですか? 聞いたところによると、冬っていうシステムがあるらしいんですよ。


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