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一輪の花の種


心に埋めた、一輪の花の種。

いつ芽吹くかも、どうすれば芽吹くかも解らずに、わたしは日々に流されていく。丁寧に掘った心の穴に、どうか咲きますように と願いながら埋めた日。わたしは確かに限界だったと思う。


9月にはいい思い出がなかった。淋しいほどに苦しくなるほどに孤独を愛するほどに、独りだった。大切にしてきた〝何か〟を何度も何度も失っては茫然自失を繰り返して。淋しさを紛らわすように泣いてばかりいた。

愛をくれる、というのなら貰えばいいのに、わたしにはどうしても出来なかった。上手く手が出せない、自分の手は余りにも冷たかった。愛をあげる、ことすらわたしにはどうにも上手くいかない。まるで氷みたいに冷たい手で優しい〝誰か〟に触れることが怖かった。

煙草に火をつけるように、誰かを愛して。吸い終わったらそれが最期なのだろうか。棄てられる吸殻が余りにも淋しくて悲しかった。いつかわたしもこうなるのか、なんてまるで陳腐な最期を思っては振り払う。それでも踏み躙られるだけの吸殻にはなれない。


夜を見つめ続けるのは、そこに〝誰か〟がいるから。真っ暗な夜のどこか隅の方、膝を抱えて淋しそうな〝誰か〟。いつか出会うかもしれないその存在から、わたしは目を離せない。朝が来ませんようにと必死で願う、愛されたいと泣く弱い人。その弱さに比例した祈りが、わたしには何よりも聞き逃せない大切な〝言葉〟だった。

あなたが好きだと、あの人は嫌いだと。軽率に言っては嗤う人。そんな軽薄な唇を見る度に、わたしの心は軋んでいく。まるで胡散臭い宗教者のように、饒舌な唇と指先。その唇で、誰かに愛を語るのか。その指先で、誰かの肌に触れるのか。わたしにはそれが震えるほどに怖かった。


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約束をした小指を斬って送って。そこまでして愛を証明しようとしたかつての女のように、誰かを愛せたらそれでいいのか。愛のかたちは歪に色を変えて、その色に染まらなかったらどうするのだろう。愛とは、そんな簡単に棄てられるものだったのか。

女に拒絶された男は何処へ行くのだろう。わたしには永遠に解らない。その事実が歯痒い。男と女に分かれているが故に、永遠に埋まらぬ心理がそこにある。愛憎の果て、悔恨の果て、そこに何を見るのだろうか。深淵を覗き続けても、深淵は動かない。あとは堕ちることを選ぶだけ。

わたしが女性を褒めるのは、その努力が痛いほどわかるから。選ぶ口紅も纏う下着も、その価値が理解出来なければ意味がない。愛を囁くためだけに紅を引くわけじゃない。性を煽るためだけに色気を纏うわけじゃない。自分の都合の良いように考える、その下卑た眼だけが男であるわけでもない。


繰り返し、呪文のように唱える。〝それだけではない〟。だからこそ、その心の奥深くが知りたいと思う。曖昧な言葉で濁すなら、それ以上知りたいとは思わない。言葉の端に滲む、泣き叫ぶほどの痛みの意味が知りたいのだ。だからわたしは聞き続ける。本当にそれだけ。

一輪の花は、もしかしたら芽吹かないまま、眠り続けるのかもしれない。それでも良かった。ぼろぼろの手で一生懸命丁寧に、わたしは心に種を埋めたのだ。泣きながら嗚咽を漏らさぬように震える唇を引き結びながら、あの日わたしは一輪の花の種を埋めたのだ。


なにがほしい。なにがしたい。どこへいきたい。だれといたい。だれにあいたい。あなたは。

自分自身に問いかける。あなたに問いかける。泣きたいなら泣いて、叫びたいなら叫んで、怒りたいなら怒って、笑いたいなら笑って。あなたはそこでは終わらないのだから。

溺れる前に、こっちへおいで。夜はまだ長い。






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