愛されない子供たち


〝愛されている〟と実感できない人が、年々増えてきている。

うつ病や精神疾患の多くは〝愛情不足〟が原因である事が多い。中でも親からの愛情不足が深刻になってきた。近年は特にそう思う。毎日、胸が引き裂かれるようなニュースが流れている。愛されない子供、愛さない親。見向きもされない小さな存在に、心が軋む。

幼い頃の家庭環境、人的環境はとても大切なものだ。子供にとって親は〝絶対〟であり〝この世の全て〟と言っても過言ではない。無条件に自分を愛し、慈しみ、守り、安心をくれる者。幼い子供の世界そのものであり、決して自分を悪意で攻撃することのない存在。その存在があるか、ないかで子供の人格や精神に大きな違いが出る。

あなたはどうだっただろうか? 愛された記憶の方が多い子供だっただろうか? 私は半々。未だに辛い記憶が痛み出すことが多いかもしれない。私が性癖について調べるのも、この話に繋がる。親に愛された記憶が少なければ少ないほど、人は自分を絶対的に愛してくれる存在を求める。勿論、そうでない人もいる。だけど、圧倒的に多いのは〝愛情の求め方〟が解らなくなること。これが本人にとってのジレンマになることがある。


愛され方が解らない。愛し方が解らない。

元々、愛情の形は人それぞれで、自分で作り出し相手の愛情の形と擦り合わせていく様なもの。その形に正解も不正解もない。だが、どうしても正解を求めてしまう。自分が貰ったことのない愛情の形を、自分で作り出すことはとても難しい。あの形がいい、この形がいい、と周りを見渡してはみても、自分と同じ愛情を持っている人は何処にもいない。参考にすべき〝サンプル〟が無いのだ。

それでも頑張って愛されようと、愛そうと努力する。でも〝愛される距離〟も解らない。どこまで近付いていいのか、どこまでなら許されるのか。許されなかったらどうしよう、怒られたらどうしよう。そうやって〝もしかしたら〟という悪循環を自分で作り出してしまう。子供の頃の自分が恐怖を叫ぶ。そうやって作り出された、余りにも不格好で歪な〝愛情の形〟。それを跳ね除けられたら、拒絶されたら、どうなるだろう。


愛情という形のないもの。透明な何か。

言葉にすることは簡単で、言葉で安心できることも勿論ある。けれど、安心するには〝信頼〟が必要で、信頼には〝信用〟が必要で。突き詰めれば何処までも続いていく、形のない透明な〝感情の絆〟は愛されなかった者にとって恐怖にしかならない。作り出し方も、作り方も解らない。周りを見渡しても、あんなに上手に作れない。何が必要なのか、解らない。そうしてまた、トラウマとジレンマの渦に飲まれていく。

私の知り合いの女性は、息子さんともう何年も会えていない。彼女は若い頃にうつ病を患い、精神疾患も患った。自由奔放な女性だった彼女は、自分の病に負けていく。そして虐待とまではいかない暴力と暴言をある期間、子供に向けてしまったそうだ。それから子供が成長し、25歳ほどまではとても仲の良い親子だった。親子という形の友達のような、とても微笑ましい関係。けれど、ある日その関係が終わった。

「会ったら殺してしまうと思う」。そう息子さんは言っていたそうだ。その日からずっと、彼女は息子さんに会えずにいる。ある日突然、彼の中にフラッシュバックしたのかもしれない。母親から受けた許せないこと、許されないこと。何年も何年も心の奥にしまってあったトラウマが、ある日突然、彼の心を支配した。母親を殺したくなるほどの強い感情、憎しみと怒り。それはまだ続いている。


決して、消えることはない。

何年、何十年経っても、子供の頃の自分が覚えてしまっている。痛いほどに強く深く、刻まれている傷。それらはいつか、自分自身の人生、恋愛、性格、生活までも支配していく。解っているはずだ。親ならば、親であるなら、解らなくてはいけないことなのに、解らないのは何故。

子供を愛せなくて、どうしても可愛く思えなくて、死にたくなるほど悩む親御さんもいる。そういった親は向き合おうと努力する人が多い。愛したいのに、愛せない。その辛さを何とかしたいと望む人もいる。普通の家族に、普通の親子になりたいと泣いている人も、確かにいるのだ。

それでも近年、本当に残酷なニュースが嫌でも目に入る。子供を愛せないまま虐待、殺害する親。親になるのは生半可なことではない。自分の時間を全て子供に与え、ゆっくり休めない日々を送る親御さん。障害を持った子供のために、日々を奔走する親御さん。それは愛情を〝与えている〟つもりが、いつの間にか子供から愛情を〝与えられている〟ことを知っているから。だからこそ日々を乗り切れる。頑張れる、愛し合える。

ならば、ニュースになる家庭の親は、虐待を楽しんでいるかのような親は、子供を無理矢理押さえつけ支配するような親は、一体なんだ。親という仮面を被った、ただの鬼畜にしか過ぎないじゃないか。何故、想像出来ない? 何故何故何故何故。私がこの世で一番嫌悪するものを挙げるとしたら、間違いなく〝毒親〟と呼ばれる人間にもなれないもの達だ。愛情のある家庭を、安心して眠れる場所を、子供に与えないもの達。


どうか、どうか。これ以上、悲しいニュースは見たくない。

幸せな事ばかりでは、良い事ばかりではない。不幸な事も、悪い事も人生は否応なしに与えてくる。でも、どうか、幼い子供の心を壊すことは、幼い子供を亡き者にしてしまうことだけは、しないで欲しい。ここに書いても、きっと、そんなもの達には届かない。心にも響かない。だから、私は自分の言葉を武器にした。

どうか優しい隣人が、友人が、教師が、誰かが、愛されない子供に気付いてくれますように。救いになる人になってくれますように。

そう願わずにはいられなくて。










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