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それすら酷く歪な愛で


憶えている一番初めの記憶から、どうしても欲しいものがある。

もしかしたら一生手に入らないまま終わるかもしれないその〝もの〟は、心の何処か隅の方にじっと呼吸し続けている。歪な棘を纏って、静かにそこに居続けている。

「欲しいものは全て手に入れたから」。そう言った知人は今どこに居るのだろうか。旅に出たまま帰らぬ人。何処か遠い国の端っこ、辺境の地で毎日を悠然と生きているだろうか。それとも、何処か遠い国の陰鬱な洞窟の奥で、ひとり息を止めただろうか。恐らくもう一生会うことはない〝旅人〟。それで良いのだろう、私たちは。


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人の心を支配する〝もの〟は何か。

久方振りにお会いした〝先生〟は、見晴らしの良い丘で呟くように私に問う。この方は何十年もその答えが見つからないまま、探し求めている。私を「まるで旅人だ」と笑う人。先生は私に会う度にこの問いを投げかける。だから私はその度に答える。「先生が解らないのなら、私にはまだ遠い心理なのでしょう」。ロマンスグレーの髪が揺れる。先生が笑った。

きっとこの人は、死に絶えるその瞬間までその答えを探し続けるのだろう。そして必ず、死に絶える瞬間まで私に問うだろう。何度も何度も同じ問いを繰り返してくれるのだろう。本当はもう解っているのだ、答えなんて。それをお互いに口にすることが許せない。あまりにも簡単すぎるその答えを口にしてしまったら、私たちは〝旅人〟ではなくなってしまうから。


友か、愛か、金か、命か、情か、生か、死か、恐怖か、畏怖か、加虐か、被虐か、男か、女か、子供か、崇拝か、敬愛か、偶像か、空想か、妄想か、洗脳か、虚言か、偽りか、真実か、上辺か、本音か、それとも、心そのものか。

人の心を支配することが出来るのだとしたら、それはどれほど罪深く、傲慢で、魅力に溢れ、甘美なことだろう。相手を自分という鉄の檻に閉じ込めて、永遠に生かしておける。何処へも行かせず、自分だけをその目に映して、自分の与える歪な愛を養分に、ただただそこに在り続ける存在にする。生きるも死ぬも、自分次第。奪うも殺すも、心次第。それを幸せと呼ぶのなら、それを愛だと名付けたなら、他の誰が入り込めようか。


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誰もが傷を隠して、ただ必死で息をする。

誰に認めてもらいたい? 誰に愛されたい? 誰に褒められたい? 誰に慰められたい? 誰に触れられたい? 誰にそばに居て欲しい? 誰に傷を見せたい? あなたは誰を、何を欲するの?

あなたの心を支配するもの。私の心を支配するもの。中身や意味に違いはあれど、欲求だけは同じもの。人か、物か、言葉か、傷か。その心の荒れ果てた隅の方で、あなたの心を痛いほどに強く動かす、その欲求はなんだろう。呪いのように、鎖のように、あなたを解放しないそれは、どれほどの醜さと美しさを持っているのだろう。

傷の深さの違い、痛みの違い。自分にしか推し量れないそれを、なぜ誰かに〝見てもらいたい〟と嘆くのだろうか。腫れ上がり、化膿して、それでも何度も一人で繰り返し治し続けた酷い傷。癒してくれる誰かを求めているのか、その傷を更に深くする誰かを欲しているのか。何十年も探し続けた〝旅人〟が見つけられないのなら、私にはあと何年かかるだろうか。遠い遠い国の何処かに、その答えがあるのだろうか。それを表現する言葉を知れるのだろうか。


わたしに言葉をくれる、たくさんの人。

心を揺らす言葉をくれる人。綺麗なものを探して、愛して欲しいと呟く人。そんな人がわたしは何より好きで好きで仕方がない。誰かを探して、自分を探して、夜を眺める人。意味もなく泣いて、叫んで、罵倒して、それでも夜を諦めない誰か。そんな人にわたしはいつも逢いたかった。憶えている、一番初めの記憶から。ずっと。

支配したい、支配されたい。依存したい、依存されたい。求めたい、求められたい。その全てが歪な愛なら、わたしは歪こそ愛だと返す。後悔と懺悔を何度も繰り返して、それでも誰かを欲する人。罪悪感と偽善の狭間で言葉を欲し続ける人。その誰もが、ただの人間だった。淋しがりで、怖がりで、愛されたがりで、素直になれない、ただの人間。


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「またいつか」と先生が笑う。

いくつになっても優しく穏やかで柔らかく、探究心と好奇心と誰かへの愛で生きる人。深く抉られた傷さえ受け入れて、ただ誰かの為に答えを探す〝旅人〟。決して衰えない外見も、歩き続けてきた脚も、強く心に根ざした矜恃も、この人が持つから憧れることが出来たのだと思う。決まりきったお別れの言葉と、穏やかな笑顔と瞳。私にはどうやっても同じにはなれない。

あなたの心を支配するもの。わたしの心を支配するもの。あなたがずっと欲してきたもの。わたしがずっと欲するもの。きっと答えはすぐ近くにあって、ただ認めたらそこで終わってしまうから。何度も何度も見ない振りをして、手に入れる手に入る〝いつか〟を求め続ける。愛する人か、安心できる場所か、名誉か地位か金か。それとも自分自身か。

歪な愛だからこそ、求め続けて欲しい。いつかの日の為に、あなたの為に、わたしの為に。







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